8.昭和3年5月16日3 フレデリク・ラモンドの演奏会に行ったけど、ベルリンに到着したら演奏会はそろそろシーズン終了のよう。

「これでしばらくは音楽会はないように言っていますが、万一また何か良いものがありましたならば、プログラムをお送りいたしましょう。

ホッホシューレ(中の人注:ベルリン高等音楽院のことだと思います)のオーケストラはあまりに上手とは思えませんでした。内地でしたならこれからが盛んだろうと思いますが、こちらは冬の寒い時がシーズンですから、それを外すと当分は良いものが聴かれません。

内地の方はさだめし「ベルリンは毎日良い音楽会で賑わっているんだろう」と思われますが、(私も始めはそう思っておりました)決してそうではなく、ただ賑わっているのは素人の音楽会ばかりで、これでは勉強になりません。

故、参りませんがこうした音楽会ならば市内のレストラン、カフェ位でも毎週2,3度はやっていますから、コーヒーでも飲みながら聴けば聴かれます。

何しても日本ではカフェ位と言いますが、こちらのは日本の専門家以上ですから、全く驚いてしまいます。ピアノ等、実によく弾きますから、勉強するのがいやになります。

プログラムは1枚日本金の10銭位します。これなどは日本の音楽会とは別物でしょうか。買うなどとは思いもよりません。」

(中の人ツッコミ)

ヨーロッパのオペラ劇場、コンサートシーズンは大体秋から5月6月ごろが1シーズンです。夏はヴァカンスシーズンなので、○○音楽祭としての興行です。ザルツブルグ音楽祭、ワーグナーのオペラを上演するバイロイト音楽祭、イタリアのアレーナ・ディ・ヴェローナ、イギリスのBBCプロムスなど、著名な音楽祭が華やかに行われます。そして夏はサマーセミナーの季節。クロイツァー教授もベルリン郊外のポツダムで、サマーセミナーをしていましたね。

規矩士は4月あたりにベルリンに到着されているので、確かに「そろそろシーズンオフ」という感じであったらしい。

 

カフェで気軽な演奏会はいたるところであったようです。規矩士は「日本の専門家より上手かも」と驚いています。レベルが違ったのですね。

同封されていたプログラム

1928年4月21日。会場は「ジングアカデミー」

このホールは「ベルリンジングアカデミー」という音楽団体(元は合唱団)の本拠地ホールとして1827年に建てられたそうです。現在はこんな感じらしいです。スクロールすると出てきます。このホールでメンデルスゾーンの「バッハのマタイ受難曲復活上演」がされたそうです。ベルリンはメンデルスゾーン所縁の土地でもあります。

4travel.jp

リストの夕べ。

1928年4月21日 ベルリンジングアカデミー

フレデリク・ラモンド

フレデリック・ラモンド - Wikipedia

プログラム(オールリストプログラム)

ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178/R.21 A179
伝説 水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ S.175 R.17
超絶技巧練習曲 第11番「夕べの調べ」 S.139/11 R.2b 変ニ長調
2つの演奏会用練習曲 小人の踊り S.145 R.6
超絶技巧練習曲 第3番「風景」 S.139/3 R.2b ヘ長調
超絶技巧練習曲 第5番 「鬼火」 S.139/5 R.2b 変ロ長調
即興ワルツ S.213 R.36
超絶技巧練習曲 第10番 S.139/10 R.2b ヘ短調
巡礼の年 第2年「イタリア」 「ペトラルカのソネット 第104番」 S.161/R.10-5 A55
3つの演奏会用練習曲 「ため息」 S.144/3 R.5 変ニ長調
「ポルティチの唖女」のタランテッラによるブラーヴラ風タランッテラ(オベール) S.386 R.117

 

このコンサートのピアノはベヒシュタインでした。

(重量級のプログラム。ロ短調ソナタなんて30分以上かかる大曲。弾く方も聴く方も体力勝負!)

ラモンドの演奏。この曲はコンサートでも演奏されました。

【リスト :2つの演奏会用練習曲 小人の踊り S.145 R.6】

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【リスト :超絶技巧練習曲 第5番 「鬼火」 S.139/5 R.2b 変ロ長調

こちらの曲も演奏会で演奏されました。

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こちらの曲はプログラム最後の曲。

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プログラム(チラシかも)の裏。おそらくレコード会社の広告。

 

(余談)

コロナ禍以来、世界中で演奏会の配信ということが行われるようになりました。この配信というものに熱心なのがポーランドショパン協会。ショパンの生家でのコンサートは世界中にリアルタイムで配信されるようになりました。時差があるので日本では夜ですが、家のベッドでゴロゴロしながら演奏会を楽しむのはちょっとした至福のひととき。

第1回ショパン国際ピリオドコンクール第2位の川口成彦さんの演奏。ピアノは現代のピアノではなく、ショパン時代のピアノを使用しています。

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ショパンの213歳のお誕生日コンサート@ワルシャワもリアルタイムで配信がありました。アーカイブされています。こちらもじっくり聴きました。

2010年のショパン国際ピアノコンクールの覇者(第1位)ユリアンナ・アヴデーエワさんの演奏。

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いつかポーランドに出かけてリアルで楽しみたいです。

コンサートを遠い日本の自宅のベッドの上やリビングのパソコンで楽しむ。規矩士の時代には想像も出来なかったことでしょう。

 

9.昭和3年6月3日1  「文章グダグダ。漢字当て字になりますがお許しください」1930年代のベルリンの動画

6月3日

その後ご機嫌いかがでしょうか?小生も少しづつこの土地に慣れてまいりましたから、またつまらぬことをお知らせいたしましょう。まあ新聞でも読むつもりで願います。宛名は雪子様すみ子様とありますが、どうか御二人の御方が全部と言うことなしに、皆様でお笑い下さることを希望いたします。

 

もちろん文章など時間の余裕がありませんので、考えててからと言うことも出来ず、また漢字をとてもよく忘れてしまいましたから、気持ちを表すために下手な字でたくさんに当て字を使用いたしますことを前もってご承知を願いましょう。そうでないとやたらに時間がかかってお話する事柄が文章や字のために何が何だかわからなくなってしまいます。よく自分でも漢字に注意していて、書いている文章のわからなくなってしまったことがありましたので、そんなことがあっては大変ですからなるべく下手な文句で当て字ばかりで書き連ねるつもりですから、なにとぞ悪しからずお許しを賜っておきます。

まず左様にお約束が出来ますると、これから安心して出まかせに御通信が出来ますので、甚だ好都合となることになります。御通信の中にあるいは同じことが2度出てくるかもしれませんが、これは筆者が前を忘れたのだなとかく諦めて仕方なくお読みくださいませ。

時には3度位出てくるかもしれませんが、そんな時は多分筆者がよほど印象しているものと見える位にとどめておいて御笑いか御怒り下さる様、これも付け加えて申し上げておきます。

「ところでこの先2年間いろいろのことを御耳に入れるのですから、あらゆる方面にわたりまして御知らせいたすことになり、なるべく肩の張らぬように考えるつもりで、時にはなかなか変なことも出るだろうと思います。喜んでみたり、笑ってみたり、泣いて見たり、今までにもこんなことがたくさんありました。それなども折りを見てもうしあげましょうが、お話するうちでも内地では考えられないほどのことが非常に多いということもご記憶をあずかっておきます。

だいぶ天気も定まってきたようですが、いまだ暖かいのやら寒いのやらわからず、暖かいと思って油断をすると急に寒くなり、それがために5月だというのに手にあかぎれをきらせます。(ご用意くださったメンソレータムがまことに有効に使用されております)

これなど多分内地では考えも及ばないことだろうと思いますがいかがでしょうか?私もこちらに参って(?)きましたわけで、今もって雨降りの日を注意いたしております。

 

乗り物は相当進歩しているようですが、その中でも汽車は日本のよりはとても貧相の奴が走っております。話によると何でも日本の山手線というものにあたる列車は内地と同じくベルリンの中をぐるぐると回るそうで、私の見たところでは、あんな奴は日本では一世紀昔のものだろうと思いました。例のマッチ箱式の客車と内地のトロッコを引く機関車ですから、ドイツにもやはりこんなものがあるのかとあまりの意外に驚きましたが、これもドイツ式に古物尊重の意味かと考えなおして感心した次第。他にもこんな例はありますが、特別に汽車で思い当たりましたから、一寸お知らせいたしておきます。よく絵葉書で見る美しい汽車の国はあれは特殊のもので、ドイツでも国際列車には一、二、ありますが、日本お最新のものはとても素敵で、ドイツ、フランスにも誇ってよいと思います。レールの小さい割に設備の良いのも日本のものはあるいは世界第一と言ってもよいでしょう。車中もちろん読み書き等出来ません。だいぶに字を消しましたたが、日暮れに書きましたので、目が痛いのを無理に書きましたから、こんなに理のわからぬものになりました。次号が思うように取れず、乱暴に書きましたのをお許しください。」

1930年から1939年(昭和5年から昭和14年)までのリアルベルリンの動画。規矩士が帰国した後のものですが、そんなに極端に違わないと思います。新聞の画像にヒトラーが演説をしているのが見えるので、ナチス政権後かもしれません。

この当時の汽車の動画は見つけたら貼ります。

【Berlin Berlin - German Documentary On Life In Berlin - Reel One (1930-1939)】

www.youtube.com

AIでカラーにした動画も見つけたので貼ります。規矩士が見ていたベルリンの街はこんな雰囲気だったのかもしれない。

【Germany 1930s in color, Pre-War [60fps, Remastered] w/sound design added】

www.youtube.com

 

10.昭和3年6月3日2 下宿転居。お気に入りの松林。敬一兄の思い出。6月になってもベルリンは寒い

「下宿は都合により転居することにいたしました。これにはいろいろ理もありますが、つまらぬことをお耳に入れてご心配をおかけましてはと思い、お知らせ申しません。くだらぬことは未だ他にもたくさんありますから、その時に申し上げましょう。

ベルリンにも内地で申せば大森とか蒲田といったような良いところがあります。今の下宿から一時間ばかりで(徒歩にて)景色のよい松林に出会えます。時々夕方暇をみて参りますが、先日などは殊に天気気温もよく大変良い気候でしたので、松林の中を歩いていて思わず内地へ帰ったのではないかと思われました。松林には月がかかってまいりました。松林の下は芝生になっていて、そこには人は誰もおりません。一年昔にお伺いしたその頃と少しも違わず、そこがベルリンだなとは夢にも考えられず、ただぼんやりと松の根本に腰をかけて月を眺めました。日本でしたならば別に普通のことでも、国が変わると本当にある気持ちに打たれます。一寸したことでも変に気にかかるもので、よく寝られないこともあります。せめてこちらにきても自分の思うことをよく理解し同情をしてくれる人があればよいのですが、悲しいかな、一人もないので、その点は遺憾に存じました。」

規矩士はやはり芸術家なのだと思います。ナイーブなロマンチストと思います。

 

(ここからは笈田光吉氏に関していろいろと言っています。笈田氏にもきっと言い分はあるでしょう。要するに規矩士と笈田氏のそりが合わなかっただけかなと思います。人間相性が悪いというのはあるあるなこと、読み流してください)

笈田という人もよほど変わり者ですから、普通のことはよく親切にしてくれてもそこが他人行儀とかで深く親しむことが出来ません。細かいことは愚痴になりますから申し上げませんが、笈田という人よりかもここに本当に良い人が一人出来ました。

その方は某学校の教授でその人こそ本当に誠意のある人として信頼しております。どんなに細かいことまでも嫌な顔をせずに、それはそれはご親切で、ドイツではじめて会った方とは思われません。家探しの時などはほとんど一日つぶして私と共にあちらこちらと歩いてくれました。お名前は申し上げませんが、人の話によってもその方はこちらに来ている人には稀に見る人格者だそうです。私も本当に安心しました。この方は偶然ドイツの大使館でお目にかかったのがもとで、それから今日までいろいろのことでご心配をいただいております。どんなに困ってもこの方がいる以上は心強く感じます。私の見るところ、こちらにいる留学生の多くが言葉には表せないことをしていると言うことも知りました。幸いにそんな心の美しい人格者に巡り合ったということも、何かの縁のあったことと非常に喜んでおります。

ちょうどその方は、私の兄のような痩せた人で、何だか自分の兄ではないかと思えてなりません。行いが全く自分の弟に対するようです。ご年齢は43歳とかだそうでした。だいぶ余談をしましたが、その話はその位にしておきまして、また、何かの折に申し上げることにいたします。」

 

この親切にしてくださる方は誰?誰?(興味津々!)

兄、敬一のことに言及しています。2年前に亡くなった兄の思い出を語っています。胃腸の弱かった敬一氏はやはり痩せていたのですね。

 

「6月になったというのに、未だ寒く、今もって冬服を着ております。雨が降ると温度が急に下がるので、油断が出来ません。夕暮れの時分が長くて、大抵10時ごろまで明るく(只今が)午前2時ごろには夜が明けますから、夜の時分が殊に少なくうっかり遊びすぎると夜が明けて帰ることになりますから注意が必要です。普通の雨降り位では、外套だけで歩きますから(老人婦人は別として)傘の心配はいりません。先日も勇敢に歩きましたが、途中から土砂降りとなり、おかげ様でびしょぬれで帰りました。洋服もいつになったら夏服になるのやら、今のところ全く見当がつきません。気の早いやつは、この寒いのに夏帽子をかぶります。」

 

規矩士がいたころのベルリンは、今よりも寒かったかもしれません。最近は地球温暖化で、6月のベルリンはたまに30度まで気温が上がるようです。雨だと気温が下がるのは変わらないようですね。だから一年中スーツで大丈夫なんですよきっと。

ヨーロッパの建物は「冬を旨とすべし」で作ってあるので、エアコンないし暑い!夏至の月の6月に最高気温をたたき出す地域が多いようで、最近はよく「ヨーロッパ熱波」というニュースが流れます。

ja.weatherspark.com

【2022年のヨーロッパ熱波のニュース】

news.tv-asahi.co.jp

 

11.昭和3年6月17日1 「いろいろと送ってくださってありがとうございます」「ドイツにてピアノ修行は大変です」

6月17日の手紙。この手紙は箇条書きになっています。

すみこ様

◎第5信によりますと、ご不幸の御知らせがありましたが、さぞお力落ちしのることと御察しいたします。私も兄を失いましてから約1年位はいつも何をするのも勇気も出ず、ただそれのみ悲しみましたが、一度死せる者は帰らず悲しみを何度繰り返しても同じことと、思い切りました。

御葬儀を伺うだけでも私も涙が出てきます。どうか御伯母様の御身にことなきよう、お守り下さい。遠くからそれを御案じいたしております。

(中の人ツッコミ)

長兄の敬一氏を失っての規矩士の心情が語られています。何も言えない.....。

 

◎橘先生もまた、御出校くださるとか、大変に喜ばしいことです。ぞんぶんに御勉強ください。レコードでも何でもよろしいですから、どしどしと聞くことです。南洋の音楽はまた帰りにでも聞きたいと思います。新人音楽会はいかが?」

(中の人ツッコミ)

後の妻、たなかすみこの著書『世界中にいろおんぷ』でも語られていたが、すみこは東京音楽学校時代は橘糸重に師事したようです。

【橘糸重ホームページ】

carlschuricht.com

 

◎各地の絵葉書もあまりたくさんないので、あるだけのを送りますから、そのおつもりで。どこの景色がどうと言ってもやはり日本のが世界第一等、これだけは決して恥ずかしくありません。

◎皆々様にはご無事(多分)の由、何か御頂戴物には恐縮いたしました。なにとぞよろしくお伝えください。カードがとても気に入りました。ときどきそこへ行きたくなります。

◎先日のお写真は見事に撮れました。庭が見えますので、また写真など願います。

(中の人ツッコミ)

以下のウェブサイトに「日本から食料品を送ってもらった」という話が書いてありました。(スクロールして「日本食」という所に書いてあります)

「せんべい」「海苔」「羊羹」。そしてなんと「からすみ」を送ってもらったとか。

www.saturn.dti.ne.jp

この手紙から黒澤家からも規矩士あてにいろいろなものを送ったのでしょう。内容はまだわかりません。手紙以外にカード、写真なども送ったのでしょう。食べ物も送ったかな?と想像しています。

 

「◎思うような研究の室がないことが遺憾です。この点は日本の方がはるかに恵まれていましょう。これがためには頭をたくさん使っております。

 

◎国は離れていても夢だけは毎日日本に飛んでゆきます。なにとぞ御丈夫であってください。夜、燈を消して休む時、ふと今の世界はどこだろうかと考えると急に淋しくなります。何をするのも一人。どうか大いに元気をつけてください。

 

◎苦しいことでももはや解決しましたから、ご安心ください。いずれも苦しくありませんが、日本のご馳走がたくさん食べられないのは本当に苦しいです。

◎よほど日本で勉強して来なければ、ドイツに来ても何にもなりません。私などもこちらに来てまるで赤子のようなもの。まるではじめからやり直しをされます。いやはや滅茶滅茶に叱り飛ばされますから、手も足もブルブルで、いつも冷汗ばかりかいています。」

(中の人ツッコミ)

お国柄が違うので、やはりレッスンのやり方、音楽の感じ方がかなり違うのでしょう。規矩士も苦しんでいます。

今ほど留学経験のある方が多くなく、そして今ほど情報が速くない昭和初期、戸惑いは今の留学生の何百倍もあったかと思います。

現代の留学生でも戸惑った話は多い。

この当時の留学生たちの奮闘が、今の留学生に活かされていることは、こういう文章を読んでいるとひしひしと伝わります。

12.昭和3年6月17日2 ベルリンでの友、原田氏。ドイツ料理は飽きました(>_<)。

(続き)

◎誰にも付き合いはない方が気楽でよろしいです。

 

あらー。(規矩士って人嫌い?)

 

◎構わずに小生宅のピアノを使用してください。日本に帰ってもカビの生えてないようによく弾いておいて下さい。

これは大正13年に共益商社から買ったあのベヒシュタインのことを言っているのかもしれません。このピアノをすみこに「弾いておいてください」とお願いをしているのかもしれません。

ピアノも含めでですが、楽器は弾かないとやはり傷んでしまいます。弾いてこその楽器です。

田中規矩士の弟、田中三郎氏の日記にこのベヒシュタインのピアノを買ったことが書いてありました。

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

 

◎新聞を感謝します。友人の原田という人も非常に喜んで時々見に来ます。ご迷惑でしょうがよろしくお願いいたします。御母上様によろしくお伝え下さい。新聞を送りますことのなかなか骨が折れることは、私も前に経験したことがありますので、本当に厚く御礼いたします。新聞を見ることが待ち遠しいです。

 

今と違って一瞬で世界のニュースが見られる時代ではないから。日本のニュースに飢えていらしたのでしょう。極東の島国日本のニュースなんて、ドイツの一般の新聞にホイホイ載るなんてありえないから。

この当時ベルリンにあった日本料理店の「あけぼ乃」や、日本人会には何週間か遅れたものではありますが、新聞があったようです。それらの新聞はシベリア鉄道経由で届けられたようです。それとは別に、黒澤家でも規矩士宛に新聞を送っていたようです。

そして友人の「原田」さんとは?

旧宅から「原田」という方の写真が出てきました。

音楽の方ではない、いわば異業種の方の写真を大事にしていらしたようで、中の人は「不思議だなあ」と思っていました。ベルリンで親しかったのか?

原田親雄氏

上田繭糸専門学校教授。

このPDFの2ページ目に原田氏のことが書かれています。

https://core.ac.uk/download/pdf/148780304.pdf

このベルリン留学当時は42歳、43歳といったところ。

裏に「サイベリア丸で帰朝」とあります。サイベリア丸は、こういう船だったようです。

topofswan.tea-nifty.com

サイベリア丸は太平洋航路の船だったようなので、原田氏はヨーロッパからアメリカに渡り、太平洋を横断。地球一周して日本に帰国なさったのかもしれません。

 

◎御姉上様には常なるご勉強の由、感服いたしております。何かすばらしいものが御出来とのこと、皆様と一緒にお喜びいたします。帰りましたならば拝見させていただきたます。

すみこ様からもよろしくとご伝言を、私のことはかまわずに。

 

◎たくさんにご馳走の研究をいたしましょう。ドイツのコテコテしたご馳走はあきました。

はいはい!規矩士はあまり胃腸が丈夫ではなかったと伝わります。ドイツ料理はあっという間にしんどくなってしまったようです。婚約者すみこに「日本食が食べたい」と訴えていらっしゃいます。

germany-restaurant.blogspot.com

 

「世界中の食べ物問題ないよ」と言っている現代の私たちでも、長い海外生活の中で、やはり食べ慣れている日本のものを食べたくなります。

留学生、仕事などで長期滞在をしている日本人が「日本食が食べたい!」と、美味しい味噌汁が飲みたくなって大豆と米麹で味噌を自作した話、ラーメンを自作した話、茶碗蒸しが毎日食べたくなってせっせと自作した話、タラコパスタを出してもらって「恋に落ちた」日本人カップルの話。海外で日本人が「どうにかして日本料理(といっても食べなれている味で、厳密な日本料理ではないですが)を食べたくてなんやかんやで工夫する」という話はとても多い。私もよく聞きます。

こればかりは時代を超えているのでしょうね。

タラコパスタで恋に落ちたドイツ留学生カップルの話。

【馴れ初め】2年間ただの友達だった二人が恋人になったきっかけを語る【恋愛】 - YouTube

 

◎また地震とか聞きました。いかがでしたか?話を聞いてもビクビクします。ドイツは地震がないので、安心ですが、もしもあったら一変で全滅ですから、考えれば恐ろしいようです。

 

規矩士は関東大震災で恐ろしい体験をしました。やはり地震の話は、あの時を思い出してしまうのかと推測します。

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

 

◎下宿でも本当に落ち着きましたならば、さかんにお便りいたしましょう。そちらに絵葉書などが積みあがるように。ご両親様皆様によろしく願います。

◎ これから当分のうちは大使館宛に願います。KT

 

13.昭和3年6月17日3 イチゴ、蚊、南京虫。

ベルリンにもそろそろ夏が近づいたらしいように見えます。私の大好物のイチゴがたくさん出ましたが、そもそもそれを語ってきました。未だ食べませんが、早くいただいて初夏の気分になろうと思いますが、いつもそう考えていて食べそこないます。

www.pref.tochigi.lg.jp

www.maff.go.jp

「蚊は今のところ一匹も出ませんが、ベルリンには出ないとのことですから、まず安心しました。」

(最近はそうでもないらしい。(>_<))

チェコヒトスジシマカが発見されました(2012年)】

www.forth.go.jp

只出るのは例の南京虫で、こ奴は遠慮なくやってきますから大恐慌をきたしております。幸い近頃は少し慣れたようですから、あまり食われても驚かなくなりました。こんなものには慣れる必要も認めませんが、お話のついでに申し上げます。とても大きな奴で内地のわらじ虫くらいはありましょう。始めのうちは見るとぞっとしました。(この手紙がそちらに着く頃は既に他に移っていますから、そのおつもりで、以前のこととして御?←漢字がわからない)

トコジラミ

www.earth.jp

【CAが教える!ホテルに入室したら、絶対チェックすべき8項目。(トコジラミの話も)】

www.youtube.com

ドイツに着いてから2か月でやっと我に返ったと言いましたならば、変に聞こえますが、よく私がすみこ様に苦しいと言う言葉を使いましたのは、この2ヶ月の間に起ったある事柄で(この事柄とは先にゆくとわかります)これがためにまことにつまらぬ目に遭いました。6月の始めごろは全くお話しても(?)ほどのところまで行き詰まり、自分でも覚悟を決めましたが、幸い(?)すべてが解決して安心しました。勉強の苦しいということは言うのではなくて、つまらぬことで苦しめられたのですから、この手はすみ子様にもよく御安心(?漢字がわからない)くださるよう願います。もはやこれから苦の字をとりまして、つとめて美しい方面をのみ選んで、何からとなく書こうと思います。苦と言う字が出ましたら、ご注意を願いましょう。苦の字はチョコレートを食うの字に直してください。」

 

ドイツに到着して2ヶ月。環境の激変もあっていろいろと苦労されたようですが、なんとか落ち着かれたのかな?

14.昭和3年6月17日4 クーダム通り。カイザーヴィルヘルム教会の中に入りたい。

「ベルリンのどこを歩いてもまず第一に目につくのは教会で、高い塔は空をついて立っており、日曜毎に(普通の日でもそうですが)打ち鳴らす祈りの鐘は、しみじみと何物かを物語っているように聞こえます。公園のベンチに腰をかけて休んでいる時など(大抵夕方仕事終わった時に)殊に一層その感を強くいたします。それにおいても一番多いだろうと思いますが、なかなか立派な建物があり、中には素晴らしいパイプオルガンを持っているのもあります。未だ代表的のドームに参りませんが、一度、是非そこのコーア(コーラスのこと)を聴きたいと思っています。」

ベルリンのドームがちらっと見える。

【路線バス100番に乗ってベルリン市内の様子を見てみた】

www.youtube.com

パリに比べて新しめな建物が多い。やはりベルリン空襲で破壊されつくしたのかもしれない。

 

 

地震がありませんから、建物等いろいろに凝ったのもありまして、美しく見えています。クーアフュールステンダムに見える教会は、あれは市の中心となるもので、この辺では最も大きなものです。私は大使館に行く時、必ずこの教会の前を通りますが、ここは大抵の日は使用いたしませんからいつも淋しくなっています。」

(扉が閉まっていて中に入れないと言っているのかもしれません)

クーアフュールステンダム。(クアフュルステンダム)通称クーダム。

ベルリン一のオシャレな通りで、パリのシャンゼリゼ通り、東京の銀座といったイメージらしいです。

windgategermany.jp

「日曜毎でもあまりここに人が集まったところを見たことがありません。多分使用いたさぬことと思いますが。この教会には市民に告げる大時計がついておりますので、せめて時間だけでも合わせてとヒムを聞く代わりに通りまでぎますが、おかげ様でいつも時間だけは正確に保って行くことが出来ます。時計の音が一種のベルを鳴らすように聞こえてきます。教会については未だ何もわかりませんので、いずれ参りましてからお話しすることにいたしましょう。」

 

ここの教会は「カイザーヴィルヘルム教会」のことかもしれません。クーダム通りからよく見えるそうです。1943年に空襲で破壊されてしまって、現在は戦後になって再建された建物で礼拝が守られています。この教会は「第二次世界大戦負の遺産」という側面もあるので、現在では観光名所です。

しかし規矩士がいたころは、この教会はプロテスタント教会なので、いつでも入れる訳にはいかないようです。カトリック教会はかなり自由に出入りできますが、プロテスタント教会は普段は入れない教会も多いようです。(間違っていたらごめんなさい。私はそういう認識です)

www.cafe-dragoon.net

規矩士が知っているのはもちろん古い方の教会です。

www.travel.co.jp

www.gedaechtniskirche-berlin.de

(ドイツ語のみ。英語日本語見当たらず)

現在のカイザーヴィルヘルム教会の鐘の音。豪華ですね。規矩士が聞かれたものとは違うと思いますが、あまりかけ離れていると以前の鐘の音を知っている人からするとやはり違和感があると思います。なので、おそらくですが、規矩士が知っている1943年以前のものとあまり違わないのでは?と思います。

www.youtube.com

こういう鐘の音を聞くと「ああヨーロッパだなあ」とうっとりしてしまいます(*^-^*)。

カイザーヴィルヘルム教会は戦後に新しく作り変えたので、代わりにこちらを。

ドレスデンの聖母教会。こちらも第二次世界大戦で破壊されましたが、2005年に元の形での再建となりました。破壊された教会の部材をそのまま組み立てたので「世界最大のジグソーパズル」と言われました。カイザーヴィルヘルム教会と同じプロテスタント福音主義の教会なので、なんとなく雰囲気は同じかと思います。

www.youtube.com

昭和3年の日本ではまず見ることの出来ない音と風景。規矩士の驚愕ぶりが手に取るようにわかります。

(私も初めてパリでこのパイプオルガンを聴いて驚きました。サン・シュルピース教会)

www.youtube.com