昭和4年2月

147.昭和4年2月11日1 【伯林新報3-1】ベルリンは寒いです。

(規矩士の新聞【ベルリン新報】第3号です。) 五月中晴天の日(1,2,3,4,5,6,7,8,19,26,28,29,30,31)以上14日。 他は曇りがちで、時に雷鳴のこともありました。気候は割合に寒い方でした。今年はどうでしょうか。 〇今年の寒さは1917年以来とのことです。 …

148.昭和4年2月11日2 【伯林新報3-2】「郵便秤を買った」「商店では夏も冬も同じものを売っている」「近頃やっと太陽が出てくるようになりました」

〇郵便秤を求めました。 いつもこちらから配送いたしますものに目方の怪しいものがありますので、玩具のような秤を求めました。藤巻(ベルリンの友)のがいつも信用出来ませんので、あまり充分ではありませんが、小さい安いやつを机の上に備えて、いつも計れ…

149.昭和4年2月27日1 【伯林新報4-1】「寒い!」「下宿の暖房はスチーム暖房」「終日室を閉め切られるために、かなり丈夫の人でも顔色が悪くなります。」

伯林新報4(2月27日) 6月中晴天の日(1,2,4,6,9,19,20,21,23,25,28,29)以上12日 今年の寒さのレコード(中の人注:最低気温のこと)氷点下35度を頂点として暖かくなってきたようです。随分長い間とてもの寒さには閉口いたしました。今、一ヶ月続いたなら…

150.昭和4年2月27日2 【伯林新報4-2】「外国にいますと内地のことが時々大きくなって伝わります」「音楽会は相変わらずさかんです」

〇外国にいますと内地のことが時々大きくなって伝わります。 最近内閣総選挙の話がおこったり、最も不思議に思うのは御大典における二重大事件。突然のことでこれは内地の方からは耳にしませんが、外国にいる者が早くも知るようになりました。私もまさかと思…

151.昭和4年2月27日3【伯林新報4-3】「ハイカラなベルリンのご婦人」規矩士が見たベルリンの最新ファッション事情

〇ハイカラなベルリンのご婦人 どんなに寒い時でも絹の薄い靴下に美しい靴で平気で歩かれます。 それに近頃は頭髪を黒く染める人があるから驚きます。日本では赤くするのに、こちらでは黒くする等、両方がまるで反対に行くことです。西洋人はやはり赤い方が…

152.昭和4年2月27日4【伯林新報4-4】「下宿の日当たりが悪い」

〇ドイツ人でも不愉快な生活を嫌います。 我々日本人はこの大きな建物に住むことはあまり良い気持ちはしませんが、ドイツでさえ「嫌だ」と言っています。 夏のうちは未だ良いとして長い冬の間、全くなすする事なく室の中にくすぶるのはとてもたまらないと申…

156.昭和4年2月11日3 すみ様1(雑談)

(この「すみ様」は比較的話題がまとまっているように思いますので、順番に出します。この番号は元の手紙にはありません。) すみ様(2月11日) 1.松屋からの下着のお返事を出したつもりでつい失礼しました。いろいろの通信をいたしましたため、甚だ相済み…

157.昭和4年2月11日4 すみ様2(雑談)「ベルリンの寒さはやりきれません」

13.今日はベルリンに来てはじめて最低温度で10分くらいの外出でもとてもやりきれないので、急いで下宿に帰るような具合です。 日中午後3時頃でも0度以下、18度から20度までありますから、早朝だったらばとても低いだろうと思います。日中でこんな寒いことは…

158.1929年2月11日5 すみ様3(雑談)クロイツァー先生とベルリンの医師によるオーケストラの演奏会に行った。

14.音楽会は例により沢山にあります。来月までですから一生懸命沢山に聴いております。 先日は久しぶりにクロイツァー先生のピアノコンツェルト(中の人注:ピアノ協奏曲のこと)(ベートーヴェン)を聴きました。なお、来月には独奏会もあるとかのお話しで…

162. 昭和4年2月27日5 すみ様1(雑談)『芸術家は殊に乃木さん(乃木希典)の精神が必要です。』

2月27日付けの「すみ様」も割と話題がまとまっているように思いますが、一部編集しました。例のごとく番号の通りが元の文章の順番です。 「すみ様」 1.御姉上様の御式が乃木神社におかせられてと伺って、どんな強く心に響いたでしょう。日頃乃木さんは私…

163. 昭和4年2月27日6 すみ様2(雑談)

2.御姉上様の分を御母上様と2人では、ますます忙しいでしょう。家庭というものの練習と思って、たくさんに活動してください。今からその支度をするつもりで。何事も御母上様の御命令に基づきつつ。御兄上様もほどなく御帰朝と存じます。 3.新聞は朝日な…

164.昭和4年2月27日7 すみ様3 「東京音楽学校の話題」

10.試験中では何かと気ぜわしいでしょう。ベルリンでは年賀絵葉書に白い花ばかりのもあります。まるで白ですから一寸変に思えますが、これも考えようでしょう。内地へは一寸どうかと思いますので、随分探しました。あれでもなかなか上等の方なのです。あと…

165.昭和4年2月27日8すみ様4「黒澤家はもとより内地からの手紙が嬉しい」

6.御手紙はいつも本当にうれしいのです。けれどもそちらでも勉強中でなかなか暇のないことはよくわかっておりますので、万一勉強に差し支えてはならないと思い、時々私の宅の方にそのことを言います。 7.遠くに離れていては手紙より他に自分を慰めてくれ…

166.昭和4年2月27日9 すみ様5 (雑談)ピアニスト原智恵子と規矩士のニアミス。(残念!)

2月27日付けの手紙には2通「すみ様」があったようです。こちらは続きの「すみ様」です。 この「すみ様」は相変わらず話が飛びまくっていますので、編集をしました。番号が打ってありますので、番号通りに読むと元の順番となります。 1.新聞の中には確かに…

167.昭和4年2月27日10 すみ様6(雑談)宗教の話

3.『喜び雑誌』面白く拝見しました。すべてキリスト教、仏教両者いずれも代表的宗教故、どちらを選んでも結構です。人間が救われていくのならば、どちらも同じです。加藤味堂(中の人注:誰だかわからない。お気付かれの方、ご教示いただけますと幸いです…

168.昭和4年2月27日11 すみ様7(雑談)ベルリンには音楽絵葉書が少なくて東洋趣味なポスターばかり。

4.船旅途中の諸港の絵葉書は未だ少し残っていますから、時々に忘れた時分に御送りします。帰国はあるいは米国を経るか、シベリアになるか今のところ未だわかりませんが、インド洋は多分通らないでしょうから、今までの絵葉書は本当に残念です。インド洋に…

169.昭和4年2月27日12 すみ様8(雑談)原田教授が帰国します。

10. 原田氏はいよいよ7月5日に横浜到着です。御通信をいただくと同時に、原田氏にお伝えしました。大変に御喜びで、何度も私に御礼がありました。なお、蒲田のお宅へ何か御通信いたしたいとのことで、とりあえず蒲田の御住所をお話しましたから、多分1週…