(中の人注:この文章は、「婚約者すみこの長兄、黒澤敬一氏イギリス留学より帰朝。一日遅れで船が到着して黒澤家での大歓待をした」というすみこの手紙の(現存しない)返事の続きのようです。どうやらすみこが「部屋を花で飾った」と書いたので、そこから規矩士は自分の亡き兄のことを連想し、脱線をしてしまいました。元に戻します。話の筋を整えるために、7.の文章は重複しています。)
7.御兄上様のお船が一日遅れてご到着の由。皆々様のお喜びはさこぞとお察しいたします。御母上様のふらふらしそうは全くその通りです。御両親様のそのような御心持ちを決して忘れてはなりません。通りベルリンに際、その御様子が見えるようです。美しい花をもって室を飾り、何年ぶりかにお迎えする懐かしい御兄君におめにかかる時の嬉しさ、いかばかりでしょう。花はあれども。
18.御兄上様の記事は殊に愉快に読みました。はじめて内地に御到着なされたその時の劇的シーン。全く今、目の前で自分が見ているようです。どんなに感極まって熱い涙がこぼれたでしょう。おそらくこのシーンはこの時のいずれかの人にからも同様見られたことと思います。
故郷の地を離れて再び戻るその時の気持ちはこれが長ければ長いほど強く、そして深く印象されるものです。仮に一年、半年にしても再び戻る時の愉快さは名状すべからずですが、これが10年20年となったらどんなでしょうか。久しぶりにはあまり長すぎますが、例え長きにしろ短いにしても再会の出来る時は変わりはないと思います。一ヶ月目で会ってさへもとても嬉しいのは人情でしょう。これは毎日会っていてはわかりませんが、いざ離れてみてはじめてわかると同様、人生はいつもこの美しい人情を忘れないようにしたいものですね。
お互い初めて会った時の様なうれしい気持ちを忘れなかったならば、この世の中には喧嘩も何も起こらぬ笑顔なのに、それがそので、やはりいつもそのようにはいかないので、仕方がありません。どうか人生は出来るものならば、そのようにありたいと願っています。
19.おおわが父よ、わが母よ、兄弟姉妹よと寄りすがる、その一瞬において真の人生はそこに見いだされるのではありませんか?世の中はまず何を置いてもこれが基礎になっています。つまり真の愛です。人生を最も美しくするものは、この温かい愛情から出てきています。
(中の人ツッコミ)
婚約者すみこの長兄、黒澤敬一氏が留学先から帰国したようです。そのことをすみこが手紙にしたのでしょう。その返事と思われます。
黒澤敬一氏は1921年(大正10年)、イギリスに留学しました。帰国は1929年(昭和4年)。ということは8年の長きに渡って留学をしていたということになります。
1923年(大正12年)王立音楽院(Royal Academy of Music)に入学。チェロなどを学ぶ。1925年(大正14年)年10月、ケンブリッジ大学トリニティカレッジTrinity Collegeに入学。1927年(昭和2年)哲学科を卒業。1929年(昭和4年)年帰国。