164.昭和4年2月27日7 すみ様3 「東京音楽学校の話題」

10.試験中では何かと気ぜわしいでしょう。ベルリンでは年賀絵葉書に白い花ばかりのもあります。まるで白ですから一寸変に思えますが、これも考えようでしょう。内地へは一寸どうかと思いますので、随分探しました。あれでもなかなか上等の方なのです。あとから御送りしたのは、教会より(学校宛の分としてはあまり上等過ぎますが)棚にしまい込まれてあったのがあったので、それを使用しました。

11.記念メダルは珍しいことです。

12.試験曲は何でも結構。コハンスキー先生留守中はやはり橘先生になるでしょう。

浅田さんがどなたにつこうとそれが良い事ならば別に問題はないでしょう。ただ、困るのはT氏とO氏とが具合が悪くないですか?理論的に演奏法云々、始めはなかなか面倒です。

良い事があったらどんどん御聞きなさい。決して悪口はきいてはならず、また、言ってはなりません。先方でいかに何か言わんとも「ああそうですか」と大人しく聞き流すことです。悪口を言うことは人間としては言われる方の者はどんなに癪に障るか知れませんが、それを受け流すことの出来る人はほとんど少ないのです。

原田氏もこの点では私を大変に褒めてくれました。ベルリンではO氏からなかなかいろいろのことを受けました。不幸にしてそれがあまり良いことではなかったかもしれませんが、決してそれに対して恨みを起こすようなことはいたしません。ただ、感謝をいつも心に持っておりました。

浅田様には決して何事も恨みがましいことは言ってはなりません。

物事に飽きやすい人はお付き合いしてもすぐに飽きられてしまいます。平常によく注意して、お付き合いせぬと、その時は大変に親密でも、後によく悔やむ人がありますから、お友達には非常に注意して下さい。ご承知でしょうな。

 

(中の人ツッコミ)

東京音楽学校内の話題です。

浅田さんとはおそらくですが、規矩士の元生徒で、東京音楽学校に入学した人のことなのかもしれません。話題に多く出ていますが、どういう関係の方かわかりません。

O氏は笈田光吉氏のことですね。規矩士の手紙に多く言及されています。どうも笈田光吉氏と規矩士はそりが合わないようです。相性の問題は仕方がないです。笈田光吉氏は慶応義塾出身で、東京音楽学校とは関係はないようです。ピアノを勉強したくていきなりベルリンのクロイツァー先生の元に留学をしました。

T氏は高折宮次氏のことではないかと思います。こちらは東京音楽学校ピアノ科教授で、規矩士の先輩に当たります。規矩士の前に官費留学でベルリンへ。クロイツァー先生に師事しました。この手紙から高折宮次氏もあまりそりが良くなかったのかしら?しかし先輩ですので、いろいろと思うことはあったかと思います。

どちらもクロイツァー先生の門下生ですが、この手紙によるとお互いの流儀があり、それはかなり違っていたのかもしれません。流儀が違うと合わせる生徒は案外大変なのです。

きちんとデータ分析をした訳ではなく、中の人の印象ですが、規矩士の手紙には「コハンスキー先生が帰国?」と思わせる文章を多く見かけます。こちらのウェブサイトによるとコハンスキー先生が帰国するのは1931年(昭和6年)なので、そんなに心配をする必要はないと思うのですが、学内で「コハンスキー先生が帰国するかも?」という噂が絶えなかったのかな?と思います。コハンスキー先生が帰国されると、婚約者すみこは元の橘糸重先生に戻るのでしょう。それに関してすみこが何か言っているようです。すみこの手紙は残っていないので、何を言ったかはわかりません。

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この手紙を読んで、組織の中にいると複雑な人間関係に困ったり悩んだりするのは世の常なのだなと思いました。