161.(余談)チケットの半券たち10 フリードマン、ワルター指揮、タウベ指揮室内管弦楽団、レーナー弦楽四重奏団、ミロヴィッチ (ユダヤ出自の音楽家たち)

1929年1月20日(日)時間不明 場所不明

フィルハーモニーコンサート

 

1929年1月24日(木)午後8時開演 フィルハーモニーホール

ピアノ:イグナツ・フリードマン(1882ー1948)

曲目不明

規矩士は1928年11月30日の演奏会にも出かけているようである。

ポーランド出身。クラクフでピアノを学び、神童と称される。レシェティツキーに師事し、ウィーンでデビュー。この当時「至高のヴィルトゥオーゾ」として高い評価を受けていた。1933年(昭和8年)来日する。第二次世界大戦が始まるとオーストラリアに移住。オーストラリアのシドニーにて亡くなる。

1929年1月27日(日)開演時間不明 フィルハーモニーホール

ブルーノ・ワルター指揮 オーケストラコンサート

オーケストラ不明

1929年1月27日(日) 午後8時開演 ベートーヴェンザール

ミヒャエル・タウベ指揮室内管弦楽団

1928年10月21日、1928年11月24日(このコンサートはヒンデミットが出演したもの)と聴きに行っているので、3回目のタウベ指揮室内管弦楽団のコンサートである。

ミヒャエル・タウベ(1890ー1972)11月21日のコンサートの指揮者と同じ。

ポーランド出身の指揮者、室内楽ピアニスト。ドイツで音楽を学ぶ。1924年にベルリン市立歌劇場の指揮者陣に加わり、1925年には自ら室内管弦楽団と合唱団を結成した。この室内管弦楽団でミヨー、シェーンベルクらの作品の紹介に努めたものの、1933年に解散している。1935年にはパレスチナに移る。イスラエルのテルアビブで死去。

共演ソリスト

ジゼラ(ギゼラ)シュプリンガー Giesela Springer(ピアノ:1873-1941?)

ウィーン出身。ベルリンフィルソリストにもなったピアニストのようですが、詳細はわからない。以下のウェブサイトにはユダヤ出自だったので1941年?あたりにポーランドのウッチのゲットーで行方不明とあります。ホロコーストの犠牲となったのかもしれません。

https://sannapederson.oucreate.com/blog/archives/3991

ウッチのゲットー

www.youtube.com

encyclopedia.ushmm.org

エルザ・ユーリヒ Elsa Jülich(ソプラノ:1886-1964)

ドイツのケルン出身。ケルン歌劇場やベルリン国立歌劇場などで活躍。1927年にタウベと2回目の結婚をする。(ということはこの当時はタウベ夫人でもあったということですか。)ユダヤ出自だったので、タウベと共にパレスチナに移る。

https://www.lexm.uni-hamburg.de/object/lexm_lexmperson_00001823

(何となくですが、この当時のベルリンで活躍していた音楽家ユダヤ出自の人が多いような気がする。気のせいでしょうか?)

曲目

カルダーラ:トリオロ短調

モーツァルト:ピアノ協奏曲ト長調(複数あるのでどれかわからない)

ヘンデル:『陽気の人、ふさぎの人、温和の人』

モーツァルトレチタティーヴォ「不幸なこの私はどこにいるの?」とアリア「ああ、語っているのは私ではない」 K.369

ウォルフガング・ヤコビ(1894ー1972)室内オーケストラのための組曲(1番または1楽章)

エルンスト・トッホ(1887ー 1964)Vorspiel zu einem Marchen(初演)

ヤコビという作曲家とトッホという作曲家は、現代にも有名として伝わっている作曲家ではないと思われます。しかし規矩士が聴いたころは「現代作曲家」として演奏をされていたのでは?と推測します。

どちらにしてもこの当時の最先端の音楽の一つであったでしょう。

規矩士が行くコンサートにはこういう「時代の最先端」といったコンサートも見かけられます。こういう「時代の最先端」の音楽をどう思っていたのか、規矩士に聞いてみたいものです。

今のところ残念なことにそれらに言及したものは残っていません。

この1月27日は昼間おそらくワルター指揮のコンサートに行って、夜、タウベ指揮のコンサートに出かけたと思われます。

1929年1月28日(月)午後8時開演 ジングアカデミーホール

レーナー弦楽四重奏団

1918年にブタペストにて設立。ロンドンを拠点に活躍。ベートーヴェン弦楽四重奏曲の全曲録音を最初にした団体とのことです。

1928年12月15日にも同じ団体のコンサートに行っている。

曲目

モーツァルト弦楽四重奏曲変ロ長調変ロ長調は6番K.159、12番K.172、17番K.458、22番K.589と4曲あるが、どれかわからない)

ドビュッシー弦楽四重奏曲ト短調

シューマンピアノ五重奏曲Op.44

(ピアノ :Olga Loerer-Lehert。この方(おそらく女性だと思います)のことがわかりませんでした。)

 

 

1929年1月29日(火)午後8時開演 ベートーヴェンザール

ピアノリサイタル

ルフレッド・ミロヴィッチ(1884ー1959)

ロシア出身。サンクトペテルブルク音楽院でアンナ・エシポワに師事(クロイツァー先生と同門ということですね。)
何かのコンクールで優秀な成績をおさめられたようですが、よくわからない。

https://www.discogs.com/ja/artist/3596774-Alfred-Mirovitch

曲目不明

 

(余談)

ポーランドホロコーストのことを調べていたらいろいろと動画を発見したので、貼ります。こういうことが動画でも見られるようになったのですね。

www.youtube.com

www.youtube.com