〇ハイカラなベルリンのご婦人
どんなに寒い時でも絹の薄い靴下に美しい靴で平気で歩かれます。
それに近頃は頭髪を黒く染める人があるから驚きます。日本では赤くするのに、こちらでは黒くする等、両方がまるで反対に行くことです。西洋人はやはり赤い方が良いようですが、どんなものでしょうか。
また、顔には特別に大きなホクロを一つこしらえます。何でも人のお話ではそのホクロが美人の要素としては大事な条件になりますとか。
私の母は顔にいくつものホクロを所有していますから、ベルリンならば美人の特選にいるべき資格を多少以っているはずですが、何でもホクロは単数で、複数では駄目なので、甚だ惜しいことをしました。
本当のホクロならば良いのですが、製造ホクロは見たところ変です。それに雨が降ったら流れはしまいかと人のことながらつまらぬところに気を遣いますので、時々自分でも可笑しくなります。人の事などはかなわないとしても、どうもそのホクロがいやに癪にさわりますので、一寸お知らせいたします。
なお、近頃は音楽会にもよく日本の紋付縮緬着物をひっかけてくるのを見ますが、相当に注意の様子が見えます。こちらでは「アイレ着物」として漸く知られるようになりました。
私の寝間着など(浴衣の悪い品)洗濯屋に出しますと極めて大事そうに洗ってくれます。そして洋服式にきちんとアイロンを使用してモーニングか燕尾服のように難しくたたんでありますから、一寸着るのが惜しいようになります。
こちらでは寝間着でも威張ったものです。何でも着物ならば寝間着でも半纏でもとても大事にしてくれます。
そしてうんとこさ料金を支払わさせられます。
日本式に簡単にザブザブとは行かぬらしいです。ですからこうなりますと寝間着も有難くおしいただいて身に着けることになります。寝間着だからとて決して馬鹿には出来ません。
(中の人ツッコミ)
規矩士がまたベルリンのご婦人のファッションの様子をお知らせしています。やはりこの「伯林新報」の読者は黒澤家の女性陣(多分)なので、「きっと興味を持つだろう」と思って、楽しそうに書くのでした。こういう所が「規矩士のユーモア」なのでしょう。
絹の薄い靴下。この言葉を聞くと中の人は「あしながおじさん」の話を思い出します。主人公ジュディがどうしても履きたくて、高価な絹の靴下を買ってしまう話です。
絹の薄い靴下とはいわゆる「絹のストッキング」のことでしょう。この時代、女性のスカートがどんどん短くなっていきました。それによって足が見えてしまう。美脚を叶えるのが「ストッキング」でした。この当時はまだ「ナイロン」は発明されていません。ということでオシャレに敏感な女性は短めのスカートに「絹の靴下」、そしてパンプスだったのでしょう。
今はストッキングは本当に売れ行きが悪くなったそうです。薄手の靴下やフットカバーにパンプスを合わせてパンツスーツという人も増えました。ファッションはどうも「ユニセックス」という流れのようです。
(そういえば中の人ストッキングって持ってないかも(*_*))
この時代、規矩士の手紙によるとベルリンでは女性は髪を黒くするのが流行っているようですね。
日本では赤くするのにと言っています。この「赤髪」は白髪染めのことかもしれません。
しかしこの記事によるとファッションで髪を染めるのは、戦後のことのように書いてあります。
中の人は美容の歴史にはあまり詳しくないので、よくわからないです。
赤毛はこういうこともあるらしいです。
「赤毛の人は気性が激しく舌鋒が鋭い」と思われがちで、モンゴメリの「赤毛のアン」の主人公にもそういう気性が書かれているのだそうです。
つけぼくろは、18世紀ロココ時代のヴェルサイユで流行ったということは聞いたことがあったのですが、20世紀初頭のベルリンでも流行ったのですか?規矩士先生。
www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp
「アイレ着物」がわかりません。ひょっとして「藍色の着物」のこと?
リンクを貼ります。【アマン・ジャン:日本婦人の肖像(黒木夫人)制作年1922年 国立西洋美術館所蔵】
藍色より白っぽいですが、こういう着物が「エキゾチックでイケてる」と思われていたのかもしれません。規矩士がベルリンに行く6年前に描かれた絵です。