(規矩士の新聞【ベルリン新報】第3号です。)
五月中晴天の日(1,2,3,4,5,6,7,8,19,26,28,29,30,31)以上14日。
他は曇りがちで、時に雷鳴のこともありました。気候は割合に寒い方でした。今年はどうでしょうか。
〇今年の寒さは1917年以来とのことです。
2月に入りまして、急に寒くなり、毎日氷点下20何度の寒さが続いております。日中はそれでも10度くらいまで昇りますが、昇っても0度以下のことですから、寒いことはやはり同じことです。ベルリンの人々はいくら寒くても襟巻(形式的に絹の薄いものを使用いらしますが)はいたしません。ましてマスク等は思いもよりません。耳だけは寒いと見えて包みますが、その他の事は全く普通のままですから、我々共も(漢字が読み取れない)それに同化されて今では襟巻がなくても平気になりました。(と言いまして、やはり寒いので、毎日御送付の襟巻は使用いたしております)長時間はとても歩けませんから、短時間のうちに用をたします。近所のある店に近頃寒暖計が置かれましたので、いつもそれを見ることにしています。いずれ後日、お知らせいたします。
〇笑い話のようですが、髭につららが下がっていました。これは先日のことでしたが、早朝急用の為に一寸近所に出かけました。早朝はいつも氷点下20度のことですから、とても震えます。ある髭の生えた馬方が(こちらの馬車は大抵二頭立ての馬車になっていて、馬方は車の上から馬を扱いますから、内地のとはまるで違います。)ブルブルしながら馬車を進めていました。何気なしにそっと顔を覗くと驚いたことに髭の先に白いツララが下がっていました。こんなことは全くベルリンでなくては見たくも見られないでしょう。思わず身震いをしました。よく人が鼻につららと言いますが、何程それは本当の事だなと思いました。寒い時にはいろいろの事もあるものです。一度こんな寒さに遭うともうこれからは何でもありません。東京の寒さ等はまるで問題になりません。マスクや襟巻をつけて云々は、まるで大笑いしたくなります。
(中の人ツッコミ)
1928年のベルリンにはまだ馬車があった?ということで、以下の動画をじっくり検証してみました。
この動画はヴァルター・ルットマン(Walter Ruttmann)というドイツの映画監督が制作した「ベルリン・大都市交響楽」というドキュメンタリー映画です。1927年制作。規矩士がベルリンに行く1年前のものですが、何か大事件があった訳ではないので、そんなに変わっていないと推測します。そしてドキュメンタリー映画とはいえ、事実と大きく乖離もしていないと推測します。
この動画によると、15分56秒あたりにゴミ収集車が映っていますが、馬車です。21分31秒辺り、荷馬車。21分48秒あたりでは馬にエサを与えています。34分24秒辺りには辻馬車も。
この時代になると圧倒的に自動車の方が多いですが、どうも荷馬車を中心に少数ながら馬車も走っていたようです。(少し驚きました)
規矩士の手紙を読んでからこの動画を見ると、ただ漠然と見ていた時と違い、いろいろなことに気が付きます。
「東京は暑いので、学校が休みになりますが、ベルリンでは寒いので休みになります。時々下宿の小さい子どもが「今日は寒いから学校が休み」と言って帰ってくる等、国が変わると面白いものだと思いました。
こんなに寒くても例の昼の国(漢字が読み取れない)のあることを考えるとまるでうそのようです。今年ですっかりベルリンの気候がわかりましたから、将来は少しも心配はありません。
寒いので、電車の脱線、地下鉄道の事故。いろいろのことがそれからそれへと起こります。幸い、我々共はいつも無事であることを喜んでおります。音楽会の帰りが遅い時など、あまり冷たいので泣きながらのことが何度でもあります。泣けば却ってそれが凍りますから、泣くことも出来ず、「そうか」と言って怒ってみても始まらず、夢中で下宿に飛んで帰ります。床についてホッとします。
(中の人ツッコミ)
規矩士がいたころのベルリンは本当に寒いようですね。
現在のベルリンはここまで寒くならないようです。2024年1月28日前後のベルリンの天気予報を貼ります。日本より若干寒いくらいのようです。
しかし寒波が来ると本当に寒くなるのかもしれません。
(日本気象協会のサイトからスクショ)