【伯林新報2-1】
ベルリン到着の4月中の天気の日は7日間だけ。他の日は曇りか、雪降り、或いは一時晴れくらいのところでした。4月中(11日、23日、24日、25日、28日、29日、30日。以上晴天)寒さは未だ冬。外套を着て丁度良い程でした。この次には5月の天候を申し上げます。
◎『いくら寒くても室内にスチームさえ通えば決して寒くはありません』
外が0度以下何度という時でも室内にスチームさえ通えば決して寒さ知らずです。但しスチームのない時はそれこそとても寒くて震えあがります。最近もそんなことで少し咽喉を痛めましたが、別に心配のことはありません。誰でも咽喉をやられています。どうもいくら注意してもこれだけは仕方がないでしょう。」
(中の人ツッコミ)
ベルリンは東京に比べて寒いです。しかし北ヨーロッパの建物なので、基本は冬を旨とします。石造りで高気密です。なのでスチーム暖房でとても暖かいようです。
夏を旨として木造の建物の多い日本の方が寒いかもしれません。冬はすきま風が入って、暖房も火鉢が多いので、寒いと思います。
東京と北海道の差と思うとわかりやすいかもしれません。」
「◎『電燈料の高いためにベルリン市民は非常に節約します』
内地と違って火力電気(中の人注:火力発電のことだと思います。)ですから、市民は実に電灯を節約します。大抵の家に行っても電灯だけはケチな程に惜しんでいるように見えます。
そこにいくと水力の内地の電灯に多大の感謝を払わなければならなくなります。全く内地ならばロハのようでしょう。
電車内でもとても暗くて新聞など読むことがやっとです。市内には内地と同様、公共電灯の大きいのがつきます。それも時間が決まっているので、決して内地のように早くからつけることはしません。
いつも不愉快に思うことはレストラン(大きい所はそうでもないでしょうが、小さい所は皆そうします。殊に家庭の貧弱なところは皆そうです)や家庭で決まってつけられた数個の電灯に限らず、全部を使用することなしに、その中の2,3個で用をたすことでしょう。これは大抵の家がそうしていますが、(勿論経済上では正当のことですが)見たところあまり気分が良いものではありません。3個、固まってつけられる中で2個だけですが、いつも不足を感ずるようで、何となく嫌になります。
これはただ見た上での感じですから、本当ならば経済上かくあるべきでしょう。なかなかそんな点はドイツ人は実に細かいです。何でも体裁よりか実質を尊ぶドイツ人のこと故、何かにつけて非常なる節約をするところは大いに似る必要があるでしょう。」
(中の人ツッコミ)
ドイツの電灯の暗いことに文句を言っています。その理由は規矩士は「電気料金が高いから。電気料金が高いのは水力発電ではなく、火力発電だから」と言っています。本当かどうかはわかりません。(中の人その辺り詳しくないです)
しかし以下のウェブサイトには、日本では元々は火力発電所が先で、水力発電と火力発電が逆転したのは、1912年とのことです。そして日本では「電力ダンピング」があったと書いてありました。だから電気料金が安かったのかもしれません。
大正から昭和へ(1912~1945年) - 電気の歴史(日本の電気事業と社会) | 電気事業連合会
電力ダンピングの話はこちらにも書いてありました。
確かに欧米の照明は日本人には暗く感じます。間接照明が多く、ぼやっとした感じです。中の人が聞いた話では、日本人など東洋人は瞳が黒か茶で、色が濃い。なので、元々光が入りにくい。それに比べて瞳が明るい緑や青の欧米人は、光が入りやすく、東洋人よりまぶしく感じるらしいです。
なので、欧米人が日本などに来ると、サングラスをしないと「目が痛くなる」といいます。逆に日本人が欧米に行くと暗すぎてもれなく目を悪くします。(中の人もそうでした)
そういう問題もあるのかもしれません。
規矩士の弟の日記「田中三郎の日記」によると、大正時代末期の田中家は8、16、24、32燭光4つの電灯定額契約だったらしい。
tanakakeiichisaburou.hatenablog.com
これは10ワット、20ワット、30ワット、40ワット相当の電球の明るさだったようです。現代に生きる私たちから見るとかなり暗い。規矩士はそれでも「ベルリンの方が暗い」と思ったようである。
この当時のベルリンって一体?
以下のウェブサイトに16燭光は20ワット相当と書いてありました。