1928年11月24日(土)午後8時開演 ジングアカデミーホール
ミヒャエル・タウベ指揮室内楽オーケストラ
(中の人ツッコミ)
何ですって!ヒンデミットですか?スゴイ!
ドイツ出身。20世紀を代表する大作曲家の一人。作曲以外にも指揮者としても活躍。ヴィオラ、クラリネット、ピアノなど多数の楽器を弾きこなす多才な音楽家であった。
1927年よりベルリン国立音楽大学(クロイツァー先生が教鞭を取ったベルリン国立高等音楽院と同じなのか違うのかがわかりません。ベルリンの音楽大学、高等音楽院は複数の名称があるのか、中の人はよくわかりませんでした。ご存じの方、ご教示いただけると嬉しいです。)作曲科教授として教鞭を取る。1938年スイスへ。1940年アメリカに渡り、同地で亡くなる。
著名な日本人の門下生は下總皖一東京藝術大学作曲科教授。
ミヒャエル・タウベ(1890ー1972)10月21日のコンサートの指揮者と同じ。
ポーランド出身の指揮者、室内楽ピアニスト。ドイツで音楽を学ぶ。1924年にベルリン市立歌劇場の指揮者陣に加わり、1925年には自ら室内管弦楽団と合唱団を結成した。この室内管弦楽団でミヨー、シェーンベルクらの作品の紹介に努めたものの、1933年に解散している。1935年にはパレスチナに移る。イスラエルのテルアビブで死去。
曲目
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番BWV1048
(中の人ツッコミ)
ヒンデミット初演を聴いたというのがすごい!
ヴィオラ・ダ・モーレとは17世紀のバロック時代に一時流行った楽器。ヴァイオリンと同じように弾きます。
規矩士が聴いた曲はこれだと思われます。
【ヒンデミット:室内音楽第6番】
この曲は1929年に改訂されたそうなので、規矩士が聴いたものとは少し違うかもしれません。
この当時の最先端の響き。規矩士がどう思ったかは現在の所わかりません。
(ビックリしたかと妄想中)
ということで、規矩士はベルリンでフルトヴェングラー、ラフマニノフ、クライスラー、そしてヒンデミットを見ました。流石ベルリンです!
規矩士が1955年(昭和30年)に亡くなったあと、ヒンデミットは1956年(昭和31年)4月から5月にかけて、ウィーンフィル初来日の時に、指揮者として帯同。初来日をしました。
1957年(昭和32年)のベルリンフィル初来日といい、ヒンデミット初来日といい規矩士は聴くことが出来ませんでした。あと少し長生きすればと思うと切ない。
動いているヒンデミット