138.(余談)チケットの半券たち4 ジョゼフ・レヴィーン

1928年11月23日(金)午後8時開演 ベートーヴェンザール

ジョゼフ・レヴィーン(1874ー 1944)(10月31日と同じ演奏者)

ウクライナ出身。モスクワ音楽院卒業。同級生にスクリャービンラフマニノフがいた。1898年に同じモスクワ音楽院出身のピアニスト、ロジーナ・ベッシーと結婚。ロシア革命の混乱でアメリカに渡る。ジュリアード音楽院での教育の傍ら、演奏活動をした。1944年に亡くなるとその後を妻、ロジーナが継いだ。ロジーナの門下生は世界中にいて、ロジーナ夫人は中村紘子の師としても有名である。

曲目

ショパン:幻想曲Op.49

ショパン:2つの即興曲(複数あるのでどれかわからない)

ショパン:練習曲5曲(複数あるのでどれかわからない)

ショパン:ワルツ第3番 イ短調 Op.34-2(イ短調のものはもう一つありますが、こちらではないかと推測します。)

ショパンスケルツォ 第3番 嬰ハ短調 Op.39

ブラームス:8つのピアノ小品 第3番 間奏曲 Op.76-3 変イ長調

ブラームス:8つのピアノ小品 第5番 カプリッチョ Op.76-5 嬰ハ短調

ドビュッシー前奏曲集より2曲(複数あるのでどれかわからない)

リスト:巡礼の年 第2年への追加「ヴェネツィアナポリ」 「ゴンドラを漕ぐ女」 S.162/R.10 A197

リスト:超絶技巧練習曲 第5番 「鬼火」 S.139/5 R.2b 変ロ長調

リスト:愛の夢-3つのノクターン S.541 R.211(複数あるので1曲弾いたのか、複数弾いたのかわからない。第3番が有名な「愛の夢」である)

リスト:パガニーニ大練習曲集 第3曲 「ラ・カンパネラ」 S.141

このチケットに「イバッハ」と書いてあります。このコンサートのピアノは「イバッハ」だったのかもしれません。

【Josef lhevinne plays Chopin】

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エチュードのOp.25-6がスゴイ!2分25秒あたり。)

チェルニー50番をピアノロールに残していました。

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(この曲は中の人高校時代に汗水垂らして頑張った思い出が.....。)

ジョゼフ&ロジーナ・レヴィーン夫妻での2台ピアノ演奏の録音がありました。

編曲はラヴェルだそうです。

ドビュッシー夜想曲より「祭り」(ラヴェル編曲)】

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(中の人ツッコミ)

 

規矩士はレヴィーンの演奏会には何回か行ったようです。10月31日にも聴きに行きました。動画サイトで聴いた感想ですが、非常にテクニシャンです。

ラフマニノフといい、レヴィーンといい、モスクワ音楽院出身者はこの当時最強のテクニックを身に着けているのかと思いました。

岡田暁生著 『ピアニストになりたい!19世紀 もうひとつの音楽史』春秋社 2008年によると、このレヴィーンがこう述べているそうです。

モスクワ音楽院のカリキュラムは、最初の5年間は専らテクニックの習得(音階とかアルペジオとか)に当てられ、残りの3,4年で名作の学習が行われる。テクニックが秀逸であることを示した生徒のみが、後半の課程に進むことを許される。」(175ページより中の人要約)

つまり最初の5年間はひたすらハノンのような「指体操」「指ドリル」に励み、その試験に合格しないと曲をやらせてもらえない.....。

同じようなことをラフマニノフも述べているそうです。

この本の著者岡田氏は「腕っぷしの強いやつが勝つ。弱い指しか持たないやつにピアノを弾く資格なし」とまで言わせています。

この時代のモスクワ音楽院のスパルタっぷりが見えるようです。

これがラフマニノフしかり、レヴィーンしかり「最強のテクニシャン」を生んだ教育だったのかもしれません。

規矩士は手紙にて「まずテクニック、技術をきちんとマスターすること」を多く言及しています。どんどん高度になるピアノの曲の数々。そして圧倒的な演奏を良しとする風潮。規矩士はそれを身をもって感じていたのかもしれません。

(中の人心の声:弱い指のアタシはピアノ弾いちゃいけないんだううう。)