50.クリスマスの前日、市内を一巡しました。とても寒いのですが、賑やかなことは内地の歳の暮れを思い出させます。
クリスマスツリーは丁度内地の松飾りのように道々に並べられて売れることまるで飛ぶようです。今日はいよいよ最後の日にちなのでしょうが、その売れ行きは見ているうちになくなっていきます。日曜ですが、午後2時から6時まで各店が開かれました。私はもう何もすることがないので、せめて通信材料にと歩けるだけ歩いて各所を見ました。ちょうど2時から6時まで完全に各所を見て歩いたことになります。寒いので猛烈の速さを加えて歩いたことはご想像に任せましょう。
一番賑やかな所は例のライプチーガー通りで(以前電柱と握手をしたところ)(中の人注:これを書いた手紙が見当たりません。散逸したようです)ここには有名なウェーアトハイムという百貨店がありますが(内地の三越と同様)今日の人出はまるでお祭り騒ぎかと思われるくらいで、その混み合うことはお話以上でした。その中をあちらにぶつかり、こちらに払われたりして、やっとこさで見物しました。日本人には他には誰にも会いませんでした。ちょうど道の途中で支那人(中の人注:中国人のこと。この言葉は良くないそうですが、原典を尊重してそのまま書きます。差別を助長するものではありません)一名にあったきりです。
こんな人出でも内地人に一人も会わぬとは不思議です。自分もドイツ人から見たらきっと支那人と同様間が抜けた顔をして歩いていたことでしょう。
(中の人ツッコミ)
ライプチーガー通りはライプツィヒ通りのことだと思います。戦前の大繁華街だったポツダム広場から延びる通りだったようです。
しかしこの絵葉書にはライプツィーガー通りと書いてあります。1924年。規矩士が見ていたポツダム広場はこんな感じだったでしょう。
そして規矩士が出かけたデパートはこちら。ヴェルトハイム百貨店。
元ネタ。
ベルリンの中心地、ポツダム広場は規矩士がいたころは繁華街だったそうです。しかし第二次世界大戦の空襲で破壊。そしてここは東西ベルリンの境界に近く、1961年から始まった「ベルリンの壁」という封鎖で広場は荒廃。空白地帯となったそうです。その後のベルリンの壁崩壊、ドイツ再統一で、またポツダム広場は息を吹き返しました。
ヴェルトハイム百貨店はユダヤ資本だったので、ナチスドイツによって接収。その後のベルリン空襲で破壊されました。跡地は2014年に「モール・オブ・ベルリン」という巨大ショッピングモールになったそうです。
「ドイツ人は殊に経済は細かいのですが、今日は思い切り気張って買い込むたくさんの紳士を見ました。自分などは貧士ですから、ただただ人々のその様子を感心して見るだけです。」
(中の人ツッコミ)
賑やかで華やいだクリスマス前のベルリンの様子を手紙にしました。