118.昭和3年12月2日3 「楽譜を見ながらコンサートを聴く人っているんですよね。」柳兼子の独奏会(規矩士は行かなかった)

残念なことは、こんなに良いものでも日本人で「是非聴こう」と言うものは音楽家以外にまあほとんどないと見てよろしいでしょう。ベルリンにも相当日本人はおりますが、いつもいつも今少し趣味があってよかりそうなものと思っています。中にはお誘いをしても反対に嫌な顔をなわるのには、いよいよにて呆れざるおえません。

時に邦人の通がり屋を2、3人見受けますが、それらは多分何か稽古している者でしょうが、あまりに偉がっているのには不愉快を感ずることがあります。スコア等を出して得々としているところはまるでポンチ絵見たようです。

ベルリンに来ていくら通がってもそれは「井の中の蛙」で、世界を知らぬ者と等しい感があります。先日も私の後ろに2,3人の通人を見受けましたがいずれもすごいスコアを出して、お互いにさも知ったかぶって話をされていました。

隣のドイツ人がうるさがってしきりに「シーシー」とやるのですが、どうしてそんなことが耳に入りましょう。これなどは全く「井の中の蛙の先生」です。まあまあ大人しく何も知らない顔をして聴くことが一番えらい方法ではないでしょうか。偉がったところでこちらの人から見たらばまるで問題にはならぬのです。

最近柳兼子氏の独唱会がベルリンのベヒシュタインザールでありましたが、(私はピアノの稽古で参れませんでした)ある人の話では、入場者も七分位とか。いたって淋しかったと申されました。また、あるいはドイツ人はあまり感心せぬと遠慮なしに私に話されましたところから、未だ日本人は偉がる時代にはなお前途多難に決してうぬぼれるものではないとつくづく感じました。

笈田氏もなかなか気焔あたるべからずですが、日本だから良いので、ベルリンではまるで誰も相手にはせぬことでしょう。悪口を言うわけではありませんが、それよりかもおとなしく勉強するほうが賢いやり方です。完璧せるピアニストは誰が言いましたか、クロイツァー先生はそんなことは申されぬ筈です。そんな肩書は別として、どこまでも真面目に勉強される方が最後の勝利者となりましょう。芸術家にとってうぬぼれ程恐ろしい病気はありません。念を動かすそれらはただただ温かい心の真の芸術家の所有物にはかなわないのです。」

 

(中の人ツッコミ)

コンサートでたまに楽譜とかを見ながら聴いている人っていますよね。私も遭遇したことがあります。曲目はオブレヒト(1457/1458-1505。フランドル出身のフランドル楽派の作曲家)の「ミサ・カプト」でした。こんなマニアックすぎるコンサートでもいたりするんですよ。マニアック過ぎたからいたのか?(苦笑)

中の人合唱団員で歌っていたんですが、もうビックリでした。

ポンチ絵にはいろいろな意味があるようです。この規矩士の書く「ポンチ絵」とは明治期に流行った風刺一コママンガの意味でしょう。

規矩士の目には、お笑い風刺一コママンガのようにとても滑稽に映ったということです。

現代のビジネスシーンで使われるポンチ絵の意味。かなり意味が変わってしまいました。

dime.jp

 

柳兼子

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