「フィルハーモニーはベルリンの好楽家からはあまりその建物が古臭いとて良く言われませんが、私の聴いた所では決してそうではないと思いました。何程最下席になると随分横のうしろの方なので、「あれでは」とうなずかれますが、最下席の一つ上等から正面になるので、ここにさえ会って聴けば、聴きにくいことなどは少しもありません。響きもとても良く、感じも非常にドッシリとしています。
ベルリン市で一番高い入場料は、何をおいてもここでしょう。フィルハーモニーオーケストラでもコンダクター(中の人注:指揮者)が良い人の時はとても高いので、びっくりするようですが、日本から比べたならはまあ安い方でしょう。フィルハーモニーのオーケストラは演奏者は大抵決まっています。ちょうど上野のオーケストラのメンバーのように。この決まったメンバーを大勢のコンダクター(中の人注:指揮者)というあまり指揮者がうようよしているように聞こえますが、10数名のコンダクターが代わり代わりに指揮をすることになっています。
コンダクターの中でも世界一流の人フルトヴェングラーの指揮の時は大変な人気で、私も昔失敗したのは、この人の時でした。しかも2度も失敗しています。前売切符も一か月前に売れるのですから、全くもって驚きます。
11日(日)にはラフマニノフがオーケストラ伴奏で独奏会しますが、この日のはやっと最下等の切符を得ましたが危うくまた失敗するところでした。指揮者は有名なフルトヴェングラー氏です。
すべて良い人の指揮するオーケストラは、月曜が午後7時30分。本当の音楽会なのですが、それは猛烈に高いので、その前日の日曜日の午前11時半から始まる丁度上野で言えば総練習というものを聴くことが出来ます。入場料も月曜に比較して幾分安くなっていますが、それでも他の音楽会に比べるとなかなか高いので、我々貧士には相当苦しく感じます。時に日本人をこんな会で見受けますが、多分好きな連中なのでしょう。総練習の時でも満員でうっかりすると聴くことが出来ません。」
(中の人ツッコミ)
何ですって?フルトヴェングラーとラフマニノフですって?(驚愕!)
規矩士がベルリンにいた当時、おそらく人気絶頂の二人の演奏会です!チケット代はオドロキの値段だったようですね。あまりの高額に規矩士は結局総練習(ゲネプロ)に出かけたようです。
あまりに凄すぎです。さすがベルリンです!
フルトヴェングラーとラフマニノフってどんな演奏になったんだろう?
中の人も絶対に聴いてみたいです。この二人の演奏会を聴けるタイムマシンないかしら?
(現代の生活を捨てる気はないので、必ず戻ってこれるタイムマシンで聴きに行きたい)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)
ドイツの名指揮者。1922年からベルリンフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務めた。
作曲家、ピアニストとしての活動もある。
20世紀最大の指揮者として未だに根強い人気があり、新たにファンを獲得しているという伝説の指揮者でもある。
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団常任指揮者という立場上、ナチスドイツのプロパガンダにされてしまい、戦後苦労しました。
この映像は有名で複数動画サイトに上がっていましたが、これは日本語の字幕がついていてどういう状況での演奏会かよくわかります。
【ヒトラー生誕記念前夜祭 1942年4月19日。演奏音声は同年3月22~24日ライブ】
この映像のフィルハーモニーホールが規矩士が見ていたものでしょう。規矩士が「ステージが階段になっている」と書いていますが、なるほどですね。
ハーケンクロイツが何とも。
シューベルトの未完成のリハーサル。(よくこんな映像があったと思う)
1954年亡くなる年の映像。このころになるとカラー映像での記録になりますね。
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)ロシア出身のピアニスト・作曲家
モスクワ音楽院で学び、規矩士が愛好したと思われるスクリャービンと同級生だった。始めは作曲家として成功。1917年ごろからのロシア革命の混乱で祖国を後にして、スイスやアメリカ在住。そのころからはピアニストとしての活躍も多い。
ラフマニノフは手が大きいことでも有名で、12度(ドから高いソまで)弾くことが出来たと伝えられています。
有名な「ピアノ協奏曲第2番」はその大きな手でなくては弾けない。
本人演奏。レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団
冒頭を中の人友人と中の人で弾いてみた。友人は手が大きく(リストなどが得意)この冒頭の和音をかなり楽譜通り弾いています。中の人は手が小さく和音が届かないのでアルペジオでごまかす。(クヤシイ(^^ゞ)
(中の人は関節は柔らかいので、手は広がるから右手はなんとか弾けますが、左は無理です...。)
本人はそのまま楽譜通り弾けちゃうんですね。(当たり前か)
動いているラフマニノフ(*^-^*)。