〇記念すべき震災日をベルリンで迎え、昔の思い出を新にしました。何を考えても夢のよう。こうして今日になったのも皆、天恵です。全く感謝しております。蒲田で会ったのはまるで私も夢中でしたから、その時どうしたのか未だに覚えていません。君に何と言ったかも何をしたかも、これら半分は夢の国でしたよう。
〇寺坂さんはすぐ帰ります。笈田氏とはよほど離れています。手紙の紙は薄くて上寸です。8月中は語学は休みでした。9月からまた厳しくお稽古。
新しいピアノについて云々。少しも心配は要りません。すぐでない代わりに私というものをあなたにあげてある筈。時期の来るまでしばらく代わって、私の言うままにおとなしく、その間、宅のピアノを使用して下さい。私が良いようにしてあげましょう。
御両親様のご厚意を忘れぬこと。悲しいことや辛いことは沢山にあります。だがすべてただ感謝あるのみ。飛行機だと3日かかる(?)と聞きました。それで帰れたらどんなでしょう。下着類だけは本当に閉口。洗濯屋には出せずベルリン在住の日本人はみな、自分でしています。これも良い経験でしょう。そんな時こそ誰か「傍にいてくれたら」と思いました。
あの関東大震災の9月1日をベルリンで迎え、いろいろと思ったこともあったようです。あの関東大震災は本当に大変だった。
あれからたった5年。「今、自分はベルリンにいる」
規矩士はあの関東大震災が夢幻のように感じているようです。
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そして何か「新しいピアノ」に関して言及しています。大森の田中家にあるおそらくベヒシュタインを使用してくれと言っていますね。何か謎があるようです。これは今後手紙の翻刻が進むと明らかになるでしょう。