55.昭和3年8月26日4 アムステルダムオリンピックの話題。ベルリンで人見絹枝を見た。ベルリンでの「君が代」に感動。

23.アムステルダムオリンピックはなかなか盛んなようでした。暇だったら行きたかったのですが、下宿問題のために少し忙しくしていましたので、その機会を得ませんでした。紙面の都合で先日は御通信しませんでしたが、先週の日曜日はベルリンでオリンピックの大会が開かれました。

(中の人注:アムステルダムオリンピックの後、ベルリンで国際競技会があったようです。アムステルダムオリンピック銀メダリストの人見絹枝さんのウィキペディアの記述にありましたが、詳細はわかりません)

アムステルダムの全部ではありませんが、大部分はベルリンで見ることが出来ました。例の令嬢(中の人注:人見絹枝さん)はこの日にも非常な人気で、競技は第一着。我が「君が代」は嬢のために吹奏せられ、場内を埋めんばかりの群衆は鳴りを静めて起立。この間、我々共は言うべからざる感に打たれました。原田教授もご一緒でしたが、この情景にはホロリと涙を落されました。

私もその時は何と言ってよいものか只、夢中になって「君が代」を歌いましたが、外国で「君が代」を聴いたのはこれが初めてで、自分も共に嬉し泣きに泣きました。我々共を取り巻く群衆は「人見、人見」と盛んに拍手してくれました。全く令嬢の人気は大したもので、新聞だけのものではありません。あの時の情景は未だに忘れることが出来ませんでしたので、今日一寸お便りいたします。場所はベルリン郊外のスタジアムで、明治神宮の運動場よりも大きいと思いました。好天気でしたので、その日は終日宿(中の人注:下宿のこと)に帰るまで、本当に愉快でした。原田教授も大変に感じたようでした。

ドイツの体育熱は素晴らしいものです。この日の競技にも警官の選手がありましたが、とても猛烈な程は知りました。あの選手に追われたならば、どんな盗賊も手の施しようがないでしょう。巡査君までがこんなスポーツマンですから、全くもって驚きました。

高跳びはたしか私の身体を2倍した位の高さを平気で飛び越えるのにはびっくりしました。あるいはそれよりも高いかも知れませんが、平気で飛び越えることです。女流選手(中の人注:女子選手のことだと思います)もかなり高く飛び越えました。投槍など、内地の選手の二倍以上の距離に届きます。すべて世界的選手だけに、何でも我々共のやることの二倍以上、走ることの早いことは全く想像がつきません。私も運動にはかなり趣味がありますので、いろいろと競技を面白く見物しました。私も今でこそヒョロヒョロしていますが、昔はかなりやったものでした。音楽をやらない時は、随分太っていましたが、練習に相当時間を取られるので、痩せました。運動と聞くととてもたまらなくなります。今一度「昔の運動をしたい」と思うこともあります。」

(中の人ツッコミ)

アムステルダムオリンピック

olympics.com

この動画で2位になったのが人見絹枝さんです。

olympics.com

余談ですが1位のリナ・ラトケさんはドイツのカールスルーエ生まれ。この記事によればオリンピック前に結婚されて、夫の故郷?のポーランドに住んでいたようです。アムステルダムオリンピックで活躍した後もいろいろと活躍されたみたいですが、第二次世界大戦の混乱で、結局ポーランドからドイツに戻らざる負えなくなって、カールスルーエに帰ってきたようです。サラッと書いてありますが、やはり第二次世界大戦の混乱で苦労されたのでは?と思います。

www.olympedia.org

人見絹枝さん

www.jwcpe.ac.jp

www.ifsa.jp

 

規矩士は実は「スポーツ好き」だったようですね。面白い話ですが、演奏家って運動神経の良い人が多く、やはり運動が得意の人の方が演奏家として活躍されます。

(中の人は運動苦手なので、こんなものなのですよ凹)

弟の「田中三郎の日記」では前回のパリオリンピックの話題はほとんど書かれていない。三郎氏はあんなに新聞記事をせっせと写しているのにスポーツの話題がないので、「田中家はスポーツは興味ないのかな?」と思っていました。三郎氏は興味ないようですが、規矩士は案外お好きなようです。