◎現在はもう10月ごろ(内地の)ようです。一年中勉強が出来ます。避暑などの心配は更にありません。御母上様、御姉様のお見立てで、その上に写真の御方の編んでくださる襟巻ですから、きっとそれを今から楽しみに待っております。早、その頃の近づくのもすぐ。
新下宿は都合により今しばらくここにいてやることにしました。先方から大変に謝ってきたので、こちらも少し可哀想になりましたから。いずれそのうちに出る考えです。御通信はすべて大使館宛に当分のうち、お願いいたします。こちらから下宿がよろしければ御通知しますから、それまでは甚だご迷惑様ながら、これまで通り大使館宛に。蚊がいない代わりに例の虫では困りますが、どうもすこし位は仕方がありません。どうかするとやられて寝られないこともあります。内地の蚊も時に思い出します。
◎新聞で見てもあまり天気が良くないとのこと。作物に影響がないようにと祈っております。いつもいろいろいのプロを感謝します。ストウピン氏、せんは未だ聞きませんが、きっと良いことでしょう。日比谷のあの頃も、今から考えると夢のようです。こちらも一日も早く聞けるようにと毎日楽しみにしています。
◎じきに英国の御兄上様もお帰りでしょう。蒲田でも大演奏会が出来ます。それはいつ頃?
(中の人ツッコミ)
規矩士は、婚約者すみこの母や姉の見立てで、すみこ謹製のマフラーを楽しみにしていらっしゃるようですね。♡♡♡
ストウピン
このウェブサイトによればチェリストのようです。昭和3年に来日したかは残念ながらわかりませんでした。すみこ先生か誰か黒澤家の方が「ストウピン」のことを手紙に書いたのかもしれません。
宮沢賢治がこの人のレコードを持っていたようです。
http://swc903neko.livedoor.blog/archives/299066.html
宮沢賢治は1896年生まれ。田中規矩士は1897年生まれ。1歳違いで、同時代を生きました。宮沢賢治のことはたくさんの研究者がいて、多数の資料とともに研究結果が発表されています。岩手県出身の宮沢賢治と、横浜出身の田中規矩士では育った環境は違いますが、同時代人ということで、宮沢賢治のことを調べると、彼らが生きた時代の空気感がとても参考になります。
音楽が大好きだった宮沢賢治。もし彼がドイツに行ったら、どんな想いを作品にするでしょうか?
寺田寅彦も何か聴いたようで、メモを残しているようです。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/42221_16354.html
ここでもすみこの兄、黒澤敬一氏が「もうすぐ帰朝する」ということに言及されています。敬一氏が英国で「最新の音楽事情」とともに帰国することを規矩士も何か楽しみにしているようにも感じます。