34. 昭和3年7月29日1すみこへの返信1

7月29日

①お答え(すみ子様)

◎第9信、7月25日落手しました。御姉上様の御通信は大変に遅れて7月26日に到着、厚く御礼します。

◎こちらからの絵葉書は到着してゆきますので、愉快に存じます。忙しい時はどうかその方に極力勉強通信下さらずとも結構です。多分そんな時は忙しい事たろうとこちらで想像しますから。また、私の方でもとても忙しい時は通信が出来なくなりますから、すこし通信がない時は忙しい時か、あるいは他に何かあった事と思って下さい。何事も橘先生にご相談下さい。すべて先生は自分の御両親と思って下さい。

◎大成功の様子、遠く離れた異国でどんなにか喜んだことでしょう。自分としての賛辞は只良く全うしてくれたと言う事を一言申し上げます。陰ながらこちらでもずいぶん心配していましたが、成功の通信を聞いた時には「よくやってくれた」と言う喜びが一度にわいて自分の事のように嬉しかったことを記憶して下さい。

だらだらと長い文句のつまらぬ辞よりかも、短い成功の言葉が私の頭にはどれだけビュっと響いた事でしょう。(?)来とも決してこれで気を緩めることがあったならば、もはやおしまい。本当に自分に忠告を与えてくれる人がそれが自分への賛辞者。いたづらに褒め上げる連中は只うわべだけの賛辞者であることを、決して忘れぬことです。

◎別に私が誰にも告げたほどではありませんが、いろいろのことを人が言うそうですが、世の中は推量が早いからとてもかなわなくなります。こちらにいれば誰でも会わないので、誰からも質問なく呑気なものですが、きっとそちらではいろいろの攻撃で苦しむことでしょう。

そんな時は別に受け入れないで話を他に逸らすことに限ります。これが唯一の手段。一寸逃げ道を言います。

◎7月はきっと良い月なのでしょう。もとの先生がお出になってすぐにあちらに行かれたとのお話、自分に本当に良い先生はどんな事があろうとも限らず、前(?)を忘れて誉めてくれるものです。それが先生としての子弟に話す愛情でしょう。私の所で初めてやったものがよく覚えています。一番記憶しているのは洋服で、少し御はねらしいところがこれがその当時の一番強い印象でした。

◎自分で最も良いと信じた方に向かった事が今日のようになりましたことも、これは何かじそうをさせるようにしたからでしょう。その人達の命はある所まで決められてありますから、これもそう言う運命にあったことは確かです。やはり熱心という美しいこことがあらゆるものを征服してしまったのです。今にきっと御宅の皆様がすみ子君の演奏を楽しみになる時が来ますよ。うれしい晴々とした顔で、しかも心から喜ばれるようになる時には、敬一御兄上様もご一緒の時です。その時こそ今までの努力は報じられることになりましょう。その頃になると急に世の中が明るい様な、またありがたいような口には言い表されないある幸福を感じてきましょう。この時が音楽の世界は自分のものになったのです。

 

すみこが何かいろいろと愚痴を言ったかもしれません。すみこが出したものが残っていないのでわかりませんが、何を言ったのでしょうね?