この日の残されている手紙は、いきなりクロイツァー教授の話となっています。文章の流れからもう一枚あったのでは?と思いますが、古い話です。散逸してしまったのかもしれません。長い年月が経っているので、仕方がないです。
レオニード・クロイツァー
クロイツァー教授の参考文献には以下のものが日本語で読めます。
山本尚志著 『レオニード・クロイツァーその生涯と芸術』音楽之友社 2006年
萩谷 由喜子著『クロイツァーの肖像~日本の音楽界を育てたピアニスト』ヤマハミュージックメディア 2016年
「クロイツァー先生のお稽古は毎週水曜日にいたしております。幸い笈田氏が(一風変わった人ですが)よく世話をしてくれますので、非常に助かっています。曲の表情、弾き方等、長年この先生についてやっていられたのですから、聞くにしくはなくと思って、たくさんに聞いていますが、こちらに来たならば日本の先生ではなく、全くの子どものようなもので、いくら威張ってもこちらで長くやっていた人には何かと欠点が見えるものですから、こちらもなるべく日本式の欠点を上げてもらって少しでも善い方に導いてもらいたいとつとめて質問をいたしております。日本に帰られたならば偉そうな人でも、こちらに来ては実に甚だしい失敗をやっているので、私なども当地に来て先生につきはじめて日本式のとてもまどろいことを知りました。笈田氏も何かと指図をしてくれますから、今は先生と言うことを忘れて、お互い日本人を助け合う意味でいろいろの注意を伺っております。ドイツ語等はとても素晴らしく上達していて、難しい事及び易しい事。なんでもどしどしこちらから聞きますから、先方も喜んで教えてくれます。年は27,8とか未だ若い人ですが、なかなか上手にやります。最近日本に帰る由。リサイタルを開くと言っていました。」
笈田光吉
笈田光吉は、規矩士がベルリンに留学する前から長年クロイツァー教授に師事していたようです。推測ですが規矩士が東京で勉強していた方法と、クロイツァー教授の方法が違っていた可能性があります。規矩士はベルリンに行く前はウィリー・バルダスに師事していたようですが、彼が東京にいたのは1年間。規矩士はバルダス教授の前はショルツ教授に師事していたようです。(弟の三郎氏の日記に書き写されていた婦人画報によれば)
tanakakeiichisaburou.hatenablog.com
規矩士がショルツ教授のように弾いていたとしたら、クロイツァー教授の演奏法とはかなり違う。クロイツァー教授のレッスンはもちろんドイツ語なので、始めはかなり戸惑ったかと推測します。
手紙から推測してクロイツァー教授風とショルツ教授風を推測して弾いてみました。曲はチェルニー50番の3番の冒頭です。クロイツァー教授風は腕から弾きます。ショルツ教授風は指先だけなので、重い鍵盤のピアノで弾くとどうしても力が入る。しんどいなあと思います。
しかしチェルニーが活躍した19世紀前半のピアノは鍵盤が軽い。ショルツ教授風の方が良いかもしれません。
私はピアノを弾く時にはクロイツァー教授風に弾くので、ショルツ教授風は難しかったです.....。
これだけ違うと規矩士大混乱かも?と思いました。(しかも外国ですよ!)
(ヘタクソですみません.....。<m(__)m>)