「道路は全部アスファルトで我が日本のように壊れた所は少しもなく、皆、見事なものです。
自動車は素晴らしい大きな奴がうようよとしています。地下鉄道は6台連結のものがさかんに走っていて、皆どれもこれも非常な進歩ぶりを表しています。
電車(中の人注:路面電車のことだと思います)は大抵は2台連結ですが、(中には1台のもあります)旗振りやレール扱い者も、皆赤黄青の電気信号でやっています。レールが変わる時は電車の運転手が独りで長い鉄の棒を電車の窓から出してレールを変えて進行を続けます。
こんなことは日本の電車にはありませんが、何だか少し田舎じみたようにも見えますが、一方から考えると人を使わないですむから結局利益になるとも考えられましょうか。
何にせよ電車だけはあまり立派ではなく東京の方がかえって機敏で盛んなような気がします。決して電車にぶら下がると言う軽業は見たくもありません。それに人々が皆、のんきで急ぐ奴がありませんから却って電車も楽に走るのではないかと思いました。
軌道は東京と少しも変わりなく車体は小さなものですから、あれが東京だったらとても人は乗れそうにもありません。電車だけはどうも感心しませんが、乗合自動車(バスのこと)はとても素晴らしいものです。2,3回乗りましたがそれは立派なものです。今日はこの辺りで止めて、また段々あらゆる方面を話していきます。これでベルリン放送は紙面の都合で切ります。」
ベルリン放送は紙面の都合で切ります。
規矩士のユーモアが光ります(*^-^*)。
日本では1925年(大正14年)3月22日に始まったそうです。田中家は新しもの好きな所もあるので、割と早くラジオ受信をしていたかも?と思っています。
www.homemate-research-radio-station.com
ベルリンの地下鉄は1902年(明治35年)に開通したのだそうです。
ちなみに日本では上野ー浅草間の開通が1927年(昭和2年)12月。規矩士はこの開業を日本で見てから、ベルリンに行きました。
1927年のベルリンの映像にAIでカラー化したもの。
『公衆作法 東京見物』1926年という映画にAIでカラー化したもの。文部省が作った啓蒙映画なので、おそらくかなり作りこんでいるとは思いますが、それでもベルリンの街とは大違い。
いきなりベルリンに放り込まれた規矩士が驚いてしまうのも道理だと思います。
中の人もこれらの動画を見るまで、ここまで違うということはわからなかった。
(2023年10月27日追記)
ベルリンの公共機関の動画を発見したので貼ります。
【Berliner S-Bahn - die ersten Filmaufnahmen 1900-1927】
ベルリン市電の動画発見!現在はハノーファーにある博物館にて動態保存されているそうです。乗って来たという動画。
4分あたりからの市電が1924年製のベルリン市電なんだそうです。そして5分36秒あたり、棒のようなものでポイント交換をしていますが、規矩士もそのことを書いていました!この動画では他の人がやっていましたが、規矩士が見たのは運転手が降りてやっていたようですね。