2.昭和3年5月6日1 異国の地で淋しい生活。ベルリンの女性の服装にびっくりしています。

「5月6日 たなかすみこ(旧姓黒澤すみ)宛

相変わらず勉強ですか。小生も一人きりのつらい淋しい生活を続けて毎日屋根裏でこつこつ勉強をしています。

話をしたくも誰もなくそれこそ自分に同情をよせてくれそうな人は全くないのでそれこそこんなことで月日が送れるものか等と考えたりしました。全く異国の淋しさ程たよりのなり心細いものはないと思いました。自分はこんなに今、苦しいと言った所で筆には表されず、全くその心はただ推量してもらうよりほかはないだろうと思いました。今頃は前に小生が伺ったころではありませんでしたかと言うのも、このペンの上の事で、誰もこれに答えてくれる人はいないから、この答えは20日過ぎでなければ自分のもとに来ないと思うだけでも遠い所だなと思いました。

それにしても短い年月にいろいろの変化があったものとつくづく思いました。どうか皆様方ご丈夫でお過ごしのよう切にお頼みします。

 

だんだんに暖かくなりました。ベルリンにも春らしい気候が訪れて来ました。鳥は歌い蝶は舞うというようなことはあまり見られないから、これを思うと日本がなつかしくなりました。それに大好きなスイートピーがどうしてないのでしょう。さくらもあってもまるで気の抜けたような蝉のぬけがら(の?)ようなもので、そんなものならないのも同様、やはり日本の春が殊になつかしくしみじみと感じます。

 

町行く人は皆春らしい服装をして歩いているが、私が見るとまるで獣(を)見たように見えてなりません。身体の中まで見えるような薄い衣物を着て、喜んで歩いている婦人達を見ると、胸が悪くなりそうです。

そんなにまでこの町は人の心を迷わしそうに出来ていますから、人々が横道に入る(?)のも道理はないだろうと思いました。小生はこちらにきても以前と同様すこしも変わりなく人は何と言おうとも自分の歩む道を忘れませんからご安心ください。

 

こちらに来ている者が盛んにビーア(中の人注:ビールのことだと思います)をすすめるが、そんなものは勉強には無用。プカプカ煙を出すのも全く無意味。ただ、愛らしい草花、新緑の若葉を唯一の友としてまた、自らを救ってくれるクラビア(クラヴィーア。要するにピアノのこと)を我が父母と思い、それを楽しんで淋しいながら自分の慰安としています。早く皆で写した写真を見たいと思いますが、せめて写真だけで内地を忘れないようにつとめています。

 

こちらは女であって女に見えない服装をした人を見ますが、どこがそれで良いものやら、又、断髪があまりにも男と同様なので傍から(?。崩し字なのでわからないがおそらく)見ると差別がつかない者がたくさん居ます等、男女という差が全体にあまりないように思えます。だから女の威張るなどは普通のことでしょう。

 

(中の人ツッコミ)

規矩士の手紙第1号とされているものです。

規矩士は弟、三郎氏の日記によれば大正13年ごろは父、母、長兄、弟と5人で賑やかに暮らしていました。大正15年に長兄が没。それでも4人家族です。今で言う4K(6畳が2室、4畳半、2畳の玄関、勝手と風呂があります)のそれほど広くない家に暮らしていました。それがいきなり異国で独り暮らしです。かなり淋しく感じているように思います。

 

この時代の女性の服装にびっくりされているようです。この時代の日本では大人の女性は和服が多かったようです。

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「男女という差が全体にあまりないように思えます。だから女の威張るなどは普通のことでしょう。」

今なら炎上要件ですが、昭和3年当時のリアルな男性の意見としてそのまま載せます。時代が違うということです。(差別を助長するものではありません)