95.昭和3年10月29日3 敬一兄の思い出。ピアノカタログを送った。婚約者すみこの楽しいイタズラ。ドイツの新聞に秩父宮殿下の写真が出ましたよ。
〇思い出の葉書を見る度に昔のことがはっきりと浮かんで一層忘れられなくなります。悲しみが新になるのは、何としても仕方がありません。忘れようと努力していますが、その度に自分というものがあまりに浅はかであったことがつくづくと見に染みて時に変な気分になります。「もう日本には帰るまい。このままベルリンにいて、出来たらばグルーネワルトの山にでも籠って修行したい」と思う事すらあります。皆を苦しめて、自分が嬉しいようなこことになったのを思うと。いろいろの御方からなつかしいお便りをいただく度に、今は胸がいっぱいになります。自分のような者は誰が見ても必ず非人間として笑うことでしょう。たくさんに笑って下さい。(?漢字が読み取れない)責めて叩いてもよろしいです。それを受けるのが却って幸福かもしれません。毎日多くの人から責め立てられているように思えます。どうか自分のようなものでも神に救われたいと願いますが、過去の罪はもはや消すことは出来ないのでしょう。誰にも救われないかも知れませんが、それでも救われるものかどうですか。夜も時々遅くなって2時ごろまで考えさせられることがあります。
毎日バッハを弾いて祈りを捧げています。沢山に責めて下さることが自分に幸福のように思えますから、どうぞどうぞ。
いつも故敬一兄にすまないと独りでどうしようかと困っております。まるで子どものように。
〇プロ及び新聞(10月6日まで)、トイレットペーパー、厚く御礼します。私の方のプロは藤巻に頼んだので、大変に遅れました。多分到着と思いますが、これは人に見せないように。ピアノのカタログも(スタインウェイ、ベヒシュタイン、イバッハ。ブルットナー(中の人注:ブリュートナーのことか?)同封しました。
〇村上先生が御来伯で、とても忙しくしましたから、音楽会の記事も書けず、失礼します。
〇すみこ殿の使用する通信紙と同様のもので、こちらに送ってくれる人があります。字、文章まるで同じで一寸間違えることがあります。二人すみこ女史がいるようです。面白いと思いました。
他人のそら似とはこのことでしょう。
ドイツ新聞に秩父宮の御写真が出ました。しかも表紙として。嬉しく感じました。
(中の人ツッコミ)
規矩士はまたまた何かに悩みだしています。
そして亡き敬一兄の思い出も。考えたら亡くなってまだ2年ですものね。敬一兄の思い出を語っているものを見ると、敬一兄とは兄弟というだけでなく、「音楽を通した同志」でもあったのだと改めて思います。
そしてピアノのカタログを送っています。何か目的があるのでしょうか?
婚約者すみこが何か楽しいイタズラをしているようですね。笑。