35. 昭和3年7月29日2 すみこへの返信2 石田一郎のこと。すみこは規矩士にマフラーを編むかも。イギリスの黒澤敬一兄がラジオで演奏しました。
②私もこちらに来ては何もかも忘れて勉強に全生命を落ち込んでいます(中の人注:全勢力をピアノに注いでいると言いたいのか?)ピアノを弾いている時など、日本と違ってその曲から聞こえてくるある精神に打たれて一人で涙を流すことがあります。この間もしばらく泣きました。一人で淋しいので泣くのではなく、全くその曲に生命が入った時に涙がひとりでにホロリホロリと落ちてきて、いつか知らぬ間にハンカチを濡らしてしまいました。内地で泣くような事はとてもいろいろな仕事に追われてほとんどありませんが、外国に来て初めてそれを知りました。一人で外国にいる時の勉強は、淋しい中にも真の魂が入りますから、きっとそうなるのでしょう。この気持ちは全く今の状態に於いてのみ得られることで内地に帰ったならばどうかわかりません。
(中の人ツッコミ)
規矩士の本場での勉強は、得るものが多いようです。その音楽が生まれた土地での演奏は何か格別なマジックのようなものがあるように思います。私もそれを実感したことがあります。
南フランス、モンペリエの大聖堂でパイプオルガンを聴いたときにに「これが西洋音楽なんだ.....。」とカルチャーショックでうるうるした経験があります。
◎汽車で別れた事がすべてに良かったことを喜んでいます。もし、船で別れたならばそれこそどんな気持ちになったかわからないでしょう。石田君もたまらなくなってとうとう門司までついてきてしまった位です。神戸出航の時、井口という人に(他に音楽学校の同窓及び小学校の同窓もおりましたが)送られましたが、未だに別れの悲しかったことが思い出されます。ことに辛かったのは門司での石田君と最後の別れがどんなにか悲しかったか、両方とも全く涙なしではおられなかった程です。私もこんなことがありますから、横浜から(?)神戸にしました。今となっては良い事をしたと喜んでおります。全く話の通りどこまでもつれてきたくなります。また、先方でもどこまでもついてゆきたくなるのは誰でも同じでしょう。万一この手紙をいつも受け取ってもらうどこかの人が、石田君と一緒に来たならば、それこそ別れるのに困ったろうと思いました。インド洋辺りは実に淋しい感じがしました。殊に暑いので、甲板に出ると月が出ていますから、一層たまらなくなってしまいます。一人で椅子に腰かけて考えることもありました。すべての思考はとてもある一種の気持ちをその人に強く与えます。」
(中の人ツッコミ)
石田君って誰?
石田君とは石田一郎氏のことかもしれません。『田中規矩士のおもいでのお便りから』という発行年不明の小冊子に石田一郎氏という方が、
「大正13年から昭和2年(ママ)のドイツ留学なさるまで先生の温厚な御指導を受けました。(中略)先生が留学なさる時、神戸までお見送りしようとお供しましたが、神戸で船に乗りたくなって、また門司まで行ってしまいました。一夜の船中は良い思い出になりました。大森まで帰った時は、15銭が私の全財産になっていました」とあります。
石田一郎氏のことはこのPDFに詳しく書かれています。
【日本セヴラック協会会報第5号2008年後期】
3ページ目にピアノを高折宮次、田中規矩士に師事と書いてありますね。
秋田出身の作曲家。上京して規矩士に師事。作曲はほぼ独学のようです。フランス近代から音楽の道に入られたようですが、結局セヴラックの音楽を紹介するようなったようです。
【デオダ・ド・セヴラック】
【セヴラック 休暇の日々から 第1集 8.ロマンティックなワルツ】
【石田一郎 遠い祭り】
『田中規矩士おもいでのお便りから』にすみこが(私も門司まで行きたかった」と書いています。この規矩士の手紙から、おそらく東京から汽車で神戸まで行って乗船されたのかもしれません。そうなるとすみこは東京駅にお見送りに行ったのかもしれません。
◎この夏休みを利用して、襟巻を御勉強して下さることを心からうれしく存じます。ベルリンは実に寒いですから、襟巻はどうしても必要です。殊に一生懸命にやって下さるのには恐縮します。どうか忙しいのでしたならばそのご心配はいりませんが、万一研究のためでしたならば、よろしくお願いします。別にこちらからどうこうの希望はありませんから、よろしいようにお頼みします。
そうですかそうですか(ニッコリ)すみこさんは規矩士先生のためにマフラーを編むことを計画しているのですね(♡♡♡)
◎英国の御兄上がラジオでとは実に驚きました。きっと立派におなりでしょう。ヨーロッパでの放送ですから、必ず立派な事は確かなことです。早く伴奏を弾いてあげて下さい。
まもなく蒲田にも立派なチェロ名手が御着きになられましょう。その時を今から楽しみにお待ち下さい。もうチェロがこちらに聴こえるようです。7年とは長いものでしたね、きっと随分変わられたでしょう。
私がこれを書いているのは午後12時半か1時に近い頃、つまり午前の1時頃です。とても眠い目をこすっていますから、字がめちゃめちゃです。」
すみこが規矩士に「兄、敬一がラジオでチェロを弾きました」と何か書いたようです。
◎絵葉書はいろいろのものがどんどん行きますから、ご覧ください。
景色の良い所、郊外、名所、記念碑.....。何々といろいろなもので、きっとつまらぬでしょうが、それでも忙しくない限り送りますから皆様でご覧ください。
◎伴奏等結構です。もちろん勉強になります。
◎9月のシーズンになると各方面に通信が多くなりますから、今までのように沢山に御通信が出来ないかも知れませんから、どうかそのつもりに(?)。これも学校のため、日本の音楽界のためだから仕方がありませんが、そちらでも忙しい時は無理にお書き下さらなくてもこちらではそう思いますから、なるべく身体に障らぬように希望いたします。