クロイツァー教授

6.昭和3年5月16日1 笈田光吉、クロイツァー教授のレッスン

この日の残されている手紙は、いきなりクロイツァー教授の話となっています。文章の流れからもう一枚あったのでは?と思いますが、古い話です。散逸してしまったのかもしれません。長い年月が経っているので、仕方がないです。 レオニード・クロイツァー ja.…

11.昭和3年6月17日1 「いろいろと送ってくださってありがとうございます」「ドイツにてピアノ修行は大変です」

6月17日の手紙。この手紙は箇条書きになっています。 すみこ様 ◎第5信によりますと、ご不幸の御知らせがありましたが、さぞお力落ちしのることと御察しいたします。私も兄を失いましてから約1年位はいつも何をするのも勇気も出ず、ただそれのみ悲しみました…

17.昭和3年6月24日1 日々のくらし。クロイツァー先生のレッスン 「大森の自宅ピアノは弾いておいてください」

① すみこ様へのお答え ◎諸問題も皆かように解決しましたから、もう苦しくもなんともありません。故ご安心ください。ホームシックは決しておこりません故ご安心ください。付け加えておきます。いろいろの御通信があるため、心はいつも内地におる時と同様。た…

21.昭和3年7月1日1 メンソレータムお役立ち。クロイツァー先生のレッスンはコハンスキー先生のレッスンと似ている。

7月1日 すみこ様へのお返事 ①ベルリンの絵葉書でこちらから御送りする者の中で、あるいは同じものが重なる場合もあるといけませんから、お暇の折に一寸絵葉書の場所、名前をお知らせください。同一場所でもハガキが違うのならば、よろしいのですが、全く同じ…

22.昭和3年7月1日2 婚約者黒澤すみにいろいろなアドバイス。やっぱりドイツは景気が悪い

◎大家の教授はヘッポコのようにつまらぬ注意がなく、大きなあっさりしたものですから、こちらによほど素養がなければ全く何が何だかわかりません。ですからいつまでも注意は暗示を与えるというにとどまり(?)は何でも自分でしなければなりません。自分でい…

44.昭和3年8月12日2 規矩士の芸術論1

規矩士芸術論爆裂です。かなり専門的な話にもなっています。わかりにくい話ですが、一気に翻刻します。 ◎クロイツァー先生は大体クラシックを基礎にしています。もちろんショパンはお得意ですが、曲想及びペダリング、フレージングはクロイツァー先生のは全…

45.昭和3年8月12日3 規矩士の芸術論2 クロイツァー先生のレッスン

◎曲以外に勿論その曲からいろいろの場所を指定して指の練習をします。自分で指の練習の工夫は必要です。ある時は先生の本でも全部別に弾かせることがあります。二分音符の時にこれをスタッカートのように弾く時もあり、曲全体の感じはいつもある物語になるよ…

49.昭和3年8月19日2 ショパンのエチュードについての考察

◎弾き方の説明は一寸筆では書けませが、結局は弾くのを直接に聞かないとわからないと思います。また、筆で説明してもどんな具合にすれものかもきっとわからないだろうと思いますから。詳しいことは帰ってからのことにして大体わかる範囲で説明しましょう。 O…

61.昭和3年9月9日1「すみこ宛」1。ベルリン高等音楽院入学は事情によりやめました。

1928年9月9日 「すみ君へ」 大抵御通信は17日位、最も早い時は二週間のこともありました。 ベルリンには全く夏はありませんから、避暑は無用。来年は何とか旅行するつもりです。 そちらではこれに習って無理にどこか出る必要もありません。といっても止めは…

62.昭和3年9月9日2「すみこ宛」2。規矩士の兄、敬一の思い出1

②手のしびれも治りました。こちらは飛行機は盛んです。乗りやすいのですが、もしも乗って誰かに叱られるといけませんから、よしましょう。乗ってよければ乗りますが、落ちたらそれっきりですから、どっちにしたものでしょうか?あまり空ばかり見て歩くと変に…

64.昭和3年9月9日4「すみこ宛」4 襟巻感謝(届いているかはわからない)。クロイツァー先生に日本の絵を贈りたい。官費留学生としての心意気。

③編み物感謝します。これでこの冬は安心して超年が出来ましょう。きっと暖かで気持ちが良いと思います。それは女史の作ですから。なお一層に.....。(中の人ツッコミ:(*^-^*)と入れたいです) 今までの努力を本当に喜んでおります。休暇はこれで随分忙しか…

70.昭和3年9月17日2 「クロイツァー教授の熱心なレッスンに感動しています。」

「それから今一つは、私の先生でもあり、あなたの先生でもあるクロイツァー先生に何かクリスマスに贈りものをしたいと思いますが、何が良いですか?これは宅の方と相談していずれなりともよろしくお願いします。 私の考えでは置物か花瓶の類はどうかと思いま…

72. 昭和3年9月17日3 規矩士の兄、敬一の思い出3。「襟巻まだ?」「クロイツァー先生のレコード」の話。

故敬一兄ソナタは私の帰り次第発表します。私の全生命を打ち込んでも立派に演奏したいと思っています。 かなり以前の作故、美しいとまでには行きませんが、これによって彼の精神を御汲みとり願いましょう。清らかな一生を終わった、しかもあまりに気の毒であ…

73.昭和3年9月17日4。「黒澤敬一御兄上様を知っている人に会いました」「クロイツァー先生にショパンのエチュードのレッスンを受けました」「東京音楽学校での大禮奉祝演奏会の練習が忙しいでしょう」「鎌倉に想いを寄せます」

〇聖句の絵葉書はもう他にはありませんので、またあったら何か送りましょう。ローマ書には私も感服します。聖句には一言一句皆、涙が出ます。 忍耐すればきっと良く.....。少し心配の事でもありますか。私にはその意味が少しどころではない大変に強く不安に…

74.昭和3年9月17日5。「私は本当に2年留学出来るのでしょうか?」「田中家への配慮感謝」

〇長坂氏のは「始めから1年半」これは秘密の話。私は誰にも言わなかったが、3年の人は留学生の中でわずか1,2名でしょう。 (こんなことは人には言わないこと。人に聞かれたら「3年が急に1年半になった」と言われたく。こちらの耳には「出発前から万事わかっ…

76.昭和3年9月24日2 ドイツのピアノ事情。マイスタージンガーのチケット?クロイツァー教授のトリオのチケット

〇御通信は全部落手。こちらのも全部着く由。まず安心。無理をせぬよう注意しておりますから、ご安心を。事件は当分様子を見ます。 〇景色の良い所は一度でも見せたいと思います。本当の音楽もせめて出来るならばと希望する程です。日本ではとても悲しいかな…

88.昭和3年10月13日6 クロイツァー先生のトリオを聴いて。規矩士のトリオ論1

「クロイツァー先生のトリオは音楽会シーズンの最初のもので、初めてベルリンに来て音楽会らしい良い気分に浸ることが出来ました。到着当時、ラモント氏の演奏を聴きましたが、こちらが未だ慣れないせいかあまり面白く聴くことが出来なかったのは遺憾でした…

89.昭和3年10月13日7 クロイツァー先生のトリオを聴いて。規矩士のトリオ論2 「やはり自由に表現できるまでテクニックは必要」

よく内地で「あの人はただ、テクニックを主として感情を表さぬ、まるで機械だとか、あるいは感情がさっぱりない、情熱がゼロ等言われる方を耳にしますが、内地でテクニックの非常な立派な人と言ったら悲しくも未だそれだけに立派な方は(これは甚だ失礼な言…

90.昭和3年10月13日8 クロイツァー先生のトリオを聴いて。規矩士のトリオ論3

話はだいぶ脇に逸れましたが、以上の三氏の御演奏は実にテクニックにおいては全く性格その字通りでした。まず第一の要素、曲譜を間違える(悪く言えば「ごまかす」と言う方が当たりましょう。一寸の引き違えはこれは氏方がありません。私の申し上げる間違え…

93.昭和3年10月29日1『すみ君へ』クロイツァー先生のレコード、南京虫、演奏会三昧満足。日本で行った演奏旅行の話。など。

10月29日1 『すみ君へ』 「ポリドールレコード以外にアメリカのレコードでショパンのソナタがある由。何でもこれが一番良いとか申されました。何のレコードか先生も忘れたそうですが、どこかで探したらあるかも知れません。レコードと生とはだいぶ違います…

94. 昭和3年10月29日2 手紙の税金。敬一兄の墓所、橘糸重先生から手紙が来たようです。クロイツァー先生はブリュートナーがお好み。

〇ドイツはなかなかやかましいので、一時のことでも税を取ります。御仰せにより申し上げますが、幸い手紙にはこれまで何もありませんでしたが、新聞ではドイツ郵便局がやかましいせいか、時折不足分を要求するなどあまり細か過ぎると思いました。別に大した…

122.昭和3年12月24日3 すみ君へクリスマスのお便り3 クロイツァー先生の話題。

3.真善美、なるほどその通りです。けれども世の中は自分が思う通りに行くと思うと間違いです。そう簡単には行きません。すべての人が真善美を心得てくれるならば、世の中は全く都合が良いのですが、そこが世の中でなかなかそうはなりません。ハエゼン女史…

158.1929年2月11日5 すみ様3(雑談)クロイツァー先生とベルリンの医師によるオーケストラの演奏会に行った。

14.音楽会は例により沢山にあります。来月までですから一生懸命沢山に聴いております。 先日は久しぶりにクロイツァー先生のピアノコンツェルト(中の人注:ピアノ協奏曲のこと)(ベートーヴェン)を聴きました。なお、来月には独奏会もあるとかのお話しで…

160.(余談)チケットの半券たち9 バックハウス!(規矩士のバックハウス評)

1929年1月19日 午後8時開演 ベートーヴェンザール ベートーヴェンの夕べ ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス (1884ー 1969) 曲目不明 「鍵盤の獅子王」と言われたあのバックハウスの演奏会です! ドイツ、ライプツィヒ出身。ピアノは母が手ほどきして、ラ…

173.昭和4年3月23日3 すみ様3「クロイツァー先生のレッスンは厳しいです。」

18.クロイツァー先生のお誕生日には別にお祝物を差し上げません。他の方もそうしていますから。クリスマスの時だけで良いとの事です。 10.ベルリンでも毎日の稽古がやかましいので、ブルブル、ドキドキ、ワクワク、ふらふらで、済んだ後はペシャンとします…

177.昭和4年3月27日1  クロイツァー先生の演奏を聴いて1

3月27日 久しぶりにクロイツァー先生の独奏会を聴きました。 先生の奏法は全く独特でしょう。殊に音色の点では何人の追従を許しません。毎日お稽古をしていただいても、その妙音の出しかたはわかりません。コハンスキー先生、笈田氏、高折氏、いずれの方にの…

178. 昭和4年3月27日2  クロイツァー先生の演奏を聴いて2 クロイツァー先生の演奏には無理がない。

(続き) (クロイツァー)先生の演奏には無理がないのです。某氏大家の言われる通り、自然そのものです。ただ、大家になると我々共のような演奏法とは違ってある特別なる拍子の自由ということに重きを置かれますから、どうかすると思いもよらないところに拍…

179. 昭和4年3月27日3  クロイツァー先生の演奏を聴いて3「妙技に入るとその瞬間は我を忘れます。演奏者も聴衆も一つになります。そこに初めてその演奏の効果が完全に示されることになります。」

(続き) 話は逸れましたが、また、ピアノの続きで、今一つ感じた事は、大曲の全体の統一という事。これは先生ばかりではなく、誰にしてもなかなか難しいことでしょう。 しかし先生はあのカーナバルの(中の人注:シューマン作曲謝肉祭Op.9)大曲をあたかも…

180. 昭和4年3月27日4  クロイツァー先生の演奏を聴いて4「クロイツァー先生は演奏と教授が両立しているので、ベルリンでは第一流です。」

(続き) 自分などは悲しいかな、芸術家としての必要条件が何一つなく、全く恥ずかしくなります。技術は勿論のこと、人格はゼロときているので、これからも将来が恐ろしくなります。いくら飾ってもゼロはゼロですから、最早何事も断念したくなります。仕方が…