45.昭和3年8月12日3 規矩士の芸術論2 クロイツァー先生のレッスン
◎曲以外に勿論その曲からいろいろの場所を指定して指の練習をします。自分で指の練習の工夫は必要です。ある時は先生の本でも全部別に弾かせることがあります。二分音符の時にこれをスタッカートのように弾く時もあり、曲全体の感じはいつもある物語になるようにと言います。時には拍子が全くずれる時がありますが、曲全体の感じはよく出ています。指はただ方便として曲は頭で弾けというのが正論です。何を意味するかこれも自分で考えて下さい。」
(中の人ツッコミ)
あるバレリーナ(吉田都さんかもしれない)が言ったと聞いたのですが、「私がステージでオデット姫やオーロラ姫を踊っている時、足はどの位上げてとかは考えていない。それは練習で身体に覚えこませているもの。ステージの上ではひたすらオデット姫やオーロラ姫になっているだけ」
曲を弾いている時に、「指が、テクニックが」と言っている間は練習不足であり、テクニックが足りない。弾けない所は取り出して工夫して練習が必要、と言っていらっしゃるんだと思います。(中の人反省です(^^;)
「クロイツァー先生はいつでも「暗示を与えて」各自に考えさせます。決して全部は説明せず、自分で考えだすようにさせます。私でも時に自分で工夫する場合もあります。芸術はある形式にとらわれると死んでしまう事があることはご存じ(中の人注:ご承知かもしれない)ですか?」
(中の人ツッコミ)
「暗示を与えて」、この暗示で「あ!」と気が付いたり、腑に落ちたりするのはよくあることだと思います。その曲のイメージの取り方で演奏がガラリと変わるのはあるあるです。クロイツァー先生はそういうレッスンをされたのですね。
「さすがはドイツだけに指は動くもので、動かないのは普通ではない位になっていますから、演奏には指は問題になっていません。
内地ならば指の云々がありますが、こちらは程度が違うので、本当にうらやましいようです。ですから全部が曲の理解に使える訳で、指のために頭を使う者は大抵我ら日本人に限られてると思います。生まれつきそういう天恵を持った人間と我らとはそこにも大なる違いがあるのですから、これは致し方がありません。こちらでは素人でもとても良く指が動きます。
◎日本でやっていたエチュードは(?)くに見てもらいました。まるで弾き方が違います。」
規矩士が学生時代に師事していたショルツ教授と、クロイツァー先生の弾き方はかなり違うようです。規矩士の戸惑いがここでも見られます。
実はおそらくですが、中の人が小学校時代に弾いていた弾き方はショルツ教授に近いものだったかもしれません。(ハイフィンガー奏法に近い)私には合わなくて手を壊してしまった。規矩士ののちの妻、たなかすみこに
「あの弾き方では中の人ちゃんの手が壊れてしまう」
と、言われて心配をかけたことがあります。
中学2年の冬、先生を変えました。この方は井口秋子氏の門下生で、クロイツァー先生の弾き方に近かったかと思います。この先生はフランスとアメリカのジュリアード音楽院に留学経験があると聞いています。(でも先生何も言わないから、先生の経歴がわからないんですよね)
弾き方を変えたらピアノを弾くのが本当に楽になりました。
私が変えたのは10歳代、規矩士は既に30歳代になっています。しかも異国の地で、外国語で習うのです。大変だったと思います。
のちに規矩士が武蔵野音楽大学教授になったあと、規矩士のピアノの音が大変に素晴らしく「田中トーン」といって評判だったと、後の門下生奥田操氏(武蔵野音楽大学教授)が雑誌の取材で話をしています。(ログインをすると見られます)
「◎今年はもう郊外の花はおしまいですから、来年に何か押し花を送りましょう。仕事の都合でどうしても遅くなるので、自分では悪いと思ってもいつもそうなります。だんだん早く寝るようにしましょう。こちらでは夜が真と経つようで、1時や2時頃まで、どうかすると書き続けることがあります。本当に悪いのですが、御通信の出来る時にたくさんにと思って書いています。
◎どうかそちらではこんなことをせずに夜は早く寝て、朝は早く起きるようにして下さい。御両親様、皆々様によろしく願います。こちらからの御通信は続々到着とのことで嬉しく存じます。」
早寝早起きの規則正しい生活を送られたと伝えられる規矩士ですが、独身時代には「ついつい遅くなって」ということもあったんですね。(微笑)