26.とかく人のうわさはいい加減です。むしろ良い噂を言うことは全くありません。クロイツァー先生の私に言われたことはおそらく誰も知らないでしょう。
笈田氏などはどんな風に人々に話されるでしょう。
「田中は自分の生徒です」と笈田氏自ら人々に話されるそうですから、まことにありがたき幸せですね。
大塚先生を案内して見物するのは、1年でも早くからベルリンにいるものの当然の義務でしょう。ベルリン見物、諸問題の説明、これをしたからとて先生風を吹かせるのは一寸おかしなことではありませんか。
笈田氏が先生ならば、私などは大塚先生のまた先生になるわけです。つまり噂はこんなことでだんだんと大きくなっていくのです。
ふとした噂ほど怪しいものはありません。あてにするととんだことです。
笈田氏については私の言ったことを決して他言なきよう。
(中の人ツッコミ)
また笈田光吉氏に何か愚痴を言っています。
規矩士がベルリン到着直後、まだベルリンの街にもクロイツァー先生にも慣れていなくて右往左往していたころ、既にベルリン在住で、先にクロイツァー先生に師事していた笈田光吉氏にいろいろと助言を求めていたのは、残された手紙から「そうだった」ということが解ります。
ところがある時に何か規矩士を怒らせたようで、それ以来「すみ様」に「他言無用」といいながら盛大に愚痴を言うようになりました。
今回のもひょっとして「田中のお世話をしたことがあります。」が伝言ゲームをしていく間に「田中は自分の生徒です」になっていったかもしれず。真相は闇の中です。
一つだけ笈田光吉の名誉のために。クロイツァー先生の1935年(昭和10年)の再来日、これが結局日本永住の来日となった訳だが、この時の住居をこの笈田光吉が用意し、1938年(昭和13年)に東京音楽学校に職が決まるまでお世話をしているそうです。