69.(余談)規矩士ベルリンでの友「原田教授」まとめ

(この記事は後に追記が多くなる可能性があります。2023年11月8日現在わかっていることを書きます)

田中旧宅に以下のような写真が残されていました。

写真表

写真裏

昭和4年7月5日帰朝 サイベリア丸 上田繭糸専門学校

原田親雄

東京音楽学校の関係者でもないです。何故異業種の物理学者の写真が大事に保存されていたのか?不思議でした。しかし規矩士のベルリン便りにはこの原田氏のことが多く書かれています。

規矩士は書きます。

その方は某学校の教授でその人こそ本当に誠意のある人として信頼しております。どんなに細かいことまでも嫌な顔をせずに、それはそれはご親切で、ドイツではじめて会った方とは思われません。家探しの時などはほとんど一日つぶして私と共にあちらこちらと歩いてくれました。お名前は申し上げませんが、人の話によってもその方はこちらに来ている人には稀に見る人格者だそうです。私も本当に安心しました。この方は偶然ドイツの大使館でお目にかかったのがもとで、それから今日までいろいろのことでご心配をいただいております。どんなに困ってもこの方がいる以上は心強く感じます。私の見るところ、こちらにいる留学生の多くが言葉には表せないことをしていると言うことも知りました。幸いにそんな心の美しい人格者に巡り合ったということも、何かの縁のあったことと非常に喜んでおります。

 

ちょうどその方は、私の兄のような痩せた人で、何だか自分の兄ではないかと思えてなりません。行いが全く自分の弟に対するようです。ご年齢は43歳とかだそうでした。だいぶ余談をしましたが、その話はその位にしておきまして、また、何かの折に申し上げることにいたします。」(投稿10.昭和3年6月3日2)

10.昭和3年6月3日2 下宿転居。お気に入りの松林。敬一兄の思い出。6月になってもベルリンは寒い - 遥かなる遠き伯林の空より~田中規矩士の手紙

この某教授はどなた?

この手紙では「名前は申し上げない」と書いていますが、この後は堂々と「原田教授」と書いています。

なのでおそらく「原田親雄氏」だと思います。

規矩士が下宿で困っている時も親身になって助けてくれたようです。

8月19日付けの手紙では、下宿でのトラブルは原田教授が談判したり、8月12日付けの手紙でも原田教授が下宿トラブルに関して何かと応援をしてくれています。

アムステルダムオリンピックのあとで、ベルリンで同様の競技会があった時も一緒に観戦し、「人見絹枝」さんの応援をしました。そしてベルリン郊外の散歩も一緒しているようです。

2年前に長兄を亡くした規矩士にとって原田教授に「亡き兄」を見たのかもしれません。
原田教授のおかげでベルリン生活もだいぶ快適になりました。

 

原田親雄 上田繭糸専門学校教授。物理学者 (現在の信州大学繊維学部)

1886年明治19年新潟県高田市(現在の上越市)に生まれ、北海道で育つ。東京物理学校(現在の東京理科大学)卒。東京外国語学校でもドイツ語を学ぶ。

1912年(明治45年)上田繭糸専門学校講師、1918年(大正7年)教授。

物理学、数学、気象学、ドイツ語を教える。

1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで文部省在外研究員としてドイツ、ベルリンに官費留学。

1959年(昭和34年)没。

以下のPDFの2ページ、3ページに詳しく書いてあります。

信州大学繊維学部千曲会報1959年(昭和34年)4月1日発行】

https://core.ac.uk/download/pdf/148780304.pdf

上のPDFにも

「原田先生の個人生活は極めて質実、剛健をモットーとし、その独りをつつしみ、不満を言わず、深く思想しつつ人間完成に努力された。学問の探求と学生の訓育のためには寝食も健康も忘れるということもしばしばであり、一面家庭にあっては平静お弱かった奥様をいたわり、また8人のお子さまたちの御教育には慈父として並々ならぬ御努力払われたと思われる」(2ページ)

と書かれています。

規矩士の手紙にも「その人こそ本当に誠意のある人として信頼しております。」と書かれ、規矩士が下宿でトラブルに巻き込まれた時も得意のドイツ語で直談判をしてくださったようです。

以下の資料では原田教授は1927年(昭和2年)6月から在留期間3か年のはずが、1年短縮されて2年になって1929年(昭和4年)7月までになったようです。理由はわかりません。余談ですが他の方も短縮された方が多いように見えます。

(中の人心の声:3年って言われて行ったのになんでか知らないけど短縮されて「帰ってこい」ってヒドイよなー。3年っていうからそのつもりで勉強なりしているだろうに(>_<))

dl.ndl.go.jp

 

原田先生と規矩士が帰国後、お付き合いがあったかどうかは現時点ではわかりません。

原田親雄上田繭糸専門学校教授。物理学者

 

大正15年、規矩士がベルリンに行く2年前に亡くなった実兄田中敬一。言われてみればなんとなく似ているような気が。少なくとも規矩士は原田教授に亡き兄を見たようです。

実兄田中敬一に関してはこちら。

tanakairoonpu.hatenablog.jp