128.(余談)チケットの半券たち1 ヴェチェイ、ウンガー、パウアー、フォイアマン、タウベ(オネゲルを聴く)、ベアトラム(バートラム)、レヴィーン

チケットの半券が複数の手紙に同封されていました。しかし日にちなどがかなりごちゃごちゃになっていて、同じコンサートのものが別の封筒に入っていたりしているようです。几帳面と伝えられ、実際に「几帳面だった」と思われる規矩士。割と揃えて送っていたと想像します。しかし受け取り、保存をしたすみこは、申し訳ないのですが、かなりその辺は大雑把です。48年間アシスタント先生だったにしきさゆりがそう言っています。

「すみこ先生って片付けが苦手でね、事務室は書類が大散乱していたわねえ(笑)」

 「すみこ先生はひらめきの人だから、『あ!ひらめいたわ!○○をしましょう!』って飛んで行ってしまう。すみこ先生が飛んでいってしまった後には『ひらめきの残骸』が大散乱状態。その『残骸』を私や事務さんが片付けるのよ。ひらめきは素晴らしいんだけどね。」

「あの書類がない!この書類がない!って大騒ぎで探したのはしょっちゅうだったわねえ。(微笑)」

中の人「今みたいにパソコンがあって情報が管理出来たら、先生きっと楽だったよね。」

にしき「本当にそう思うわ。」

(中の人も大散乱だった事務所をなんとなく覚えています。)

話がだいぶ逸れましたが、受け取ったすみこがきちんと封筒に戻せたのか?それはわかりません。そして長い年月の間に散逸したものも多くあったかもしれません。規矩士は手紙で「プログラムはそちら(黒澤家)に送ります」と書いているのですが。

なので、こちらで編集をしてチケットの半券などを投稿しようと思います。

とはいえかなりバラバラなので、あとで「こっちから出て来た」ということもあるかもしれません。その際には訂正を入れて行きましょう。

 

1928年10月18日(木)午後8時 フィルハーモニーホール

ヴァイオリン:フランツ・フォン・ヴェチェイ( 1893ー 1935 )ハンガリー出身のヴァイオリニスト。幼少期より神童として名を馳せ、1910年代から1920年代には「ヨーロッパ屈指のヴァイオリニスト」の一人であった。

ハインツ・ウンガー指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

ハインツ・ウンガー(1895ー 1965)ドイツ、ベルリン出身の指揮者。1920年のシーズンにベルリンフィルを指揮してプロデビュー。その後カナダで活躍。カナダで亡くなった。

曲目

ブロッホ:コンチェルト・グロッソ

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

ブルックナー交響曲第4番(ロマンティック)

 

1928年10月20日(土) 午後8時 ジングアカデミーホール

ピアノ:マックス・パウアー(1866-1945)

イギリス生まれ。ドイツで活躍した。のちに貴族に列せられ、マックス・フォン・パウアーと名乗った。

ブラームスの夕べ

曲目

ブラームス:ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ヘ短調 Op.2

ブラームス:16のワルツ Op.39

(有名はブラームスのワルツの独奏版。連弾版と2台ピアノ版がある。すべてブラームス自身の編曲である。)

ブラームスシューマンの主題による変奏曲 嬰ヘ短調 Op.9

ブラームス:ロマンス、カプリッチョ、間奏曲

(複数あるのでどの曲かわからない)

ブラームス:2つのラプソディ Op.79

(これもこの曲以外にもラプソディがあるので、どちらかわからない)

【マックス・パウアー メンデルスゾーン:ロンド・カプリッチョーソ  Op.14 】

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1928年10月21日(日)午後8時 ベートーヴェンザール

チェロ:エマヌエル・フォイアマン

ミヒャエル・タウベ指揮室内管弦楽団

ミヒャエル・タウベ(1890ー1972)ポーランド出身の指揮者、室内楽ピアニスト。ドイツで音楽を学ぶ。1924年にベルリン市立歌劇場の指揮者陣に加わり、1925年には自ら室内管弦楽団と合唱団を結成した。この室内管弦楽団でミヨー、シェーンベルクらの作品の紹介に努めたものの、1933年に解散している。1935年にはパレスチナに移る。イスラエルのテルアビブで死去。

エマヌエル・フォイアマン(1902ー1942)現在のウクライナ出身。幼少期にウィーンに移住。ウィーンとドイツで音楽を学び、ヨーロッパ中で演奏活動をした。1929年よりベルリン高等音楽院教授。ナチスの政権掌握で職を追われアメリカに行く。ニューヨークで手術をした際の合併症で死去(抗生物質は間に合わなかったのだろうか。)日本には2回来日。チェリスト、指揮者の斎藤秀雄の師としても有名である。

曲目

オネゲル:付随音楽「地球のたわごと」(1918年作曲)

(無調の現代音楽です。ジャズに拒否反応を示した規矩士がどう思ったのか聞きたい所ですが、言及されたものは残っていないようです)

ハイドン:チェロ協奏曲(たくさんあるのでどれかはわからない)

モーツァルト交響曲第36番『リンツ』K.425

 

1928年10月27日(土)午後8時 ベートーヴェンザール 

ピアノ:ゲオルク・ベアトラム(バートラム)(1882-1941)

ドイツ出身のピアニスト。ベルリンシュテルン音楽院で教鞭をとり、ソリストとしてもフルトヴェングラーなどと共演。のちにアメリカに渡る。ニューヨークで死去。

シューベルトの夕べ

このチケットの半券からは曲目がわからない。

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すみこへの手紙に「ベアトラム」に関して記述がある。

「16.ベアトラム氏はバルダス先生に弾き方が同じです。何度も演奏しています。バルダス先生と思えば間違いありません。」

(115.昭和3年11月21日付け)

115.昭和3年11月21日 すみ君へ3 奏楽堂のパイプオルガン。東京音楽学校の話題。ベアトラム氏とは?オペラは苦手?真の芸術家とは? - 遥かなる遠き伯林の空より~田中規矩士の手紙

 

余談:こんな動画を見つけたので貼ります。

J.S.バッハ:4台のチェンバロのための協奏曲イ短調 BWV1065

これを4台のピアノでやりました。ピアノはベアトラムアイスナークロイツァー先生、オズボーン

ハインツ・ウンガー指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

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1928年10月31日(水)ジングアカデミーホール

ピアノ:ジョゼフ・レヴィーン(1874ー 1944)

ウクライナ出身。モスクワ音楽院卒業。同級生にスクリャービンラフマニノフがいた。1898年に同じモスクワ音楽院出身のピアニスト、ロジーナ・ベッシーと結婚。ロシア革命の混乱でアメリカに渡る。ジュリアード音楽院での教育の傍ら、演奏活動をした。1944年に亡くなるとその後を妻、ロジーナが継いだ。ロジーナの門下生は世界中にいて、ロジーナ夫人は中村紘子の師としても有名である。

曲目

J.S.バッハトッカータ(詳細不明)

ベートーヴェンソナタ第30番Op.109

メンデルスゾーン:プレストホ長調(わからない)

シューマン:謝肉祭Op.9

ショパン舟歌Op.60

ショパンマズルカのどれか

ショパンポロネーズ第6番 「英雄」 変イ長調 Op.53またはポロネーズ第7番「幻想」 変イ長調 Op.61

 

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